2024年6月2日日曜日

説教メッセージ 20240602

6月になりましたね。日差しも暑くなりました。草刈りをして、掃除をして、2教会を行き来して、そして久しぶりに夫婦で買い物。といっても格安スーパーで食材の買い出し。でも、気分転換にもなりました。仕事を終えて、一息つくのも大切なことですね。つい多めに買ってきたので、アルバイトで忙しい外国人メンバーにもお裾分け。仕事と、休憩と、仲間たち。みんな大切に生きていきましょう。礼拝は今日は名古屋の復活教会で担当します。YouTubeでも中継します。お待ちしています!

聖書の言葉 マルコ2:23~3:6(新64)

2: 23ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 24ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。 25イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。 26アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」 27そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 28だから、人の子は安息日の主でもある。」

3: 1イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 2人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。 3イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 4そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。 5そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。 6ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。



説教「安息日(休日)に込めた神の思い」 徳弘浩隆牧師

1、24/365の良さと悪さ…

スマートフォンでSNSをみたり、外国のTV番組を見ていると、「24/365」という言い方や書き方を見ることがあります。最初は何のことかと思いましたが、すぐに気が付きました。日本語風に言うと、「24時間365日いつでも・一年中」という事になるでしょう。

お店や、商品を買った後の「サポートやアフターケアはいつでもどうぞ、心配ありませんよ!」というときによく使われるようですね。

今となっては当たり前で、驚かないこのフレーズですが、むかしは違いました。そして今、もう一度見直されようともしているかもしれません。「働き方改革」という言葉もよく聞きます。

ルーテル教会は、宗教改革の教会ですが、それは、宗教というよりも、私たちの生き方そのものの改革を説いているとも言えます。しかし、同時に、教会員や牧師の在り方も、考えなければならない時代にもなってきたと言えるかもしれません。

今日の聖書の話は、イエス様が安息日について語っているところです。語っているというよりもむしろ、非難をされ、それに対して論争になったような出来事です。

私たちのいのちや、生き方を一緒に考えてみましょう。

2,聖書 

ある安息日に、麦畑を通っていたイエス様たちの一行です。その時、弟子たちが、歩きながら麦の穂を摘み始めたのです。すると、ファリサイ派の人たちが批判しました。ファリサイ派は先週の日曜日にも出てきた、聖書の教えをよく学び、その通りにそれを守り生きている熱心な人たちでした。ですから、いい加減に生きている人たちを批判したり、馬鹿にしたりもし、「自分たちは彼らとは違う生き方をしている」と、分離しているという意味の「ファリサイ」という言い方が定着したそうです。

さて、そんな、まるで「風紀委員」のような人たちが厳しく批判します。イエス様の弟子たちが、人の家の畑から勝手に麦の穂をとっているからだと思ったら、実は大違いでした。問題はそこではありませんでした。

なんと、「安息日に労働をしているから」というのが彼らの論点だったのです。

安息日は、天地創造の物語にまでさかのぼって確認せねばなりません。神は6日間で順々にいろいろなものを造られたと記されています。そのたびに「良かった」と言われます。そして、6日目に人を造り、全てを見て、「本当に良くできた!」と喜ばれます。7日目は休息の日でした。後にモーセが神様から十戒といわれる10の掟をいただいたときにも、その中に、「神様を大切にして、神様が休まれたこの7日目を安息の日として、大切にして守りなさい」と言われているのです。

だから、「そんな大切な日に、彼らは、『収穫』という労働をしている。それは、神の掟を破っている、律法違反だ」という訳です。

その批判に対して、イエス様は反論されます。弟子を守りたくて無理やり弁明しているのではなくて、「安息日の掟の意味そのもの」を説きながら教えられたのです。みんなが知っていて尊敬している伝説の偉大な王様、ダビデの話を持ち出して説明します。そして、その安息日に込められた神様の思いを、説明されたのです。つまり、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」と。そしてそのまま、会堂に入り、困った人を癒してあげました。安息日にです。我慢ならないファリサイ派の人たちにたいして、イエス様は今度はこう切り込みます。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」と。これには反論できず、イエス様をどのようにして殺そうかと思ったというほどになりました。

もちろんイエス様は挑発するためにこんなことをされたのではないでしょう。ファリサイ派の人たちは、この言葉を聞いて、神様の思いを素直に知ることができればよかったのですが、ますます、自分たちの考えで頑なになり、神様から遠のいてしまう事になってしまったのです。

3,振り返り 

私たちは大丈夫でしょうか?神様の思いとは、どんなものだったのでしょうか?

今日の論争を学ぶためには、聖書の歴史の中での「常識」を知らねばなりません。

実は、聖書の教えでは、人の家の畑でも自由に収穫して空腹を満たしてもよいという掟があったのです。もちろんたくさん収穫して転売してお金儲けをしてはいけないでしょうが、ユダヤ共同体の中ではそんな他者への思いやりもある、寛容な社会、寛容な教えがあったのです。実際、落穂ひろいというミレーの絵を見た方も多いと思いますが、そのモチーフのもともとの聖書の話は、収穫をする際には、いわゆる未亡人や生活困窮の中にある人のために、また、寄留して住む外国人のために、穂を全部収穫してしまうのではなくて、必ず残しておくように、という掟まであったのでした。

なんと、旧約聖書の神様の教えは厳しいものだとばかり思う傾向のある私たちはびっくりさせられる、「愛の神」の姿を見ることになります。

十戒の書かれている申命記の5章を見てみましょう。こうあります。「12安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。 13六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、 14七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。」 ここまで読むと、家族も奴隷も、それだけではなくて牛やロバも休め、という事で生活ががんじがらめにさせられている窮屈さを感じます。神の厳しさも感じます。しかし、その続きを忘れてはいけません。こう続いています。「そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。」

ここに、神様の愛があるのです。「あなたが休むのは、あなたのためだけではない、使用人も、家畜もそれによって気兼ねなく休息をとることができるためなんだよ」、という思いやりの気持ちからだったのです。

掟の奥にある、神様の愛の思いを見逃してはいけません。

4,勧め 

こどもが寝ないときに「早く寝なさい!」と大声で怒ってしまうときに、たとえば、「ちゃんと寝ないと、明日大変だよ。明日は遠足で大切な日でしょ」という親の愛の気持ちも添えられているかどうかですね。こどもの側では、いつもうるさい、怖い親と思うかもしれませんが、その奥の気持ちに気づくのは、自分が親になったときや、親を見送る時だったと、気付かされます。神様の素朴な、本当の愛の気持ちに触れて、一緒に生きていきましょう。 


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牧師コラム・ おすすめ映画

  安息日を守っているだろうか。ちゃんと休めているかな?と自分の忙しさを思い、何とかしたいと、おもいます。しかし、私以上に、いそがしく、多くの場合、もっと条件の悪い状況で、一生懸命働いている人のことも思わされます。もちろん、それぞれの夢や、人生設計の一時期でもあるでしょう。私たちも、そんな下積みの時代もあって今がある、という人生を送っているかもしれません。

「私たちが休んだら、寄留している外国人の方も休めるから」という聖書の言葉と違って、私たちが休みたいから、あの人たちに働いてもらおう」と安易に思っているかもしれない。いや、それにも気づかず、もっと安いものを買って、もっと便利な社会で行きたいと思う「ふつう」の気持ちのために、大きな負担を負ってくれている人たちがいる、と気付かされました。 

「縁の下のイミグレ」という映画、とても勉強になり、考えさせられ、泣かされ、頭を抱えて悩むだけじゃない、ちょっとした出口も見える、不思議な映画でした。もっと、他者を愛し、認め合って、支え合って、生きていきたいと思わされます。世界はすぐには変えられなくても、今の自分にできること、私もそんなことに取り組んでいます。一緒に何かしませんか?この映画も見てみませんか?





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