2022年5月29日日曜日

説教メッセージ 20220529

今日は日曜日。教会かオンラインでお会いしましょう。 


今週の聖書の言葉 05月29日 

ルカ24:44~53 (新161) より

50イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。 51そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 52彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 53絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。


使徒言行録1: 1~11(新213) より

イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。 10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、 11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」


説教「天を見て、右見て左見て…」 徳弘牧師

1.横断歩道は右見て左見て…世界共通?

「横断歩道では、みぎみて、ひだりみて」と、小学校のころから教わりましたが、ブラジルでは反対。左を見てから右を見る必要があります。自動車が左側通行ではなくて右側な通行なので、道を渡るときに自分の側で接近してくるのは左側からという事になるからです。そこに車が来ていないことを確認してから、向こうの車線で接近してくる右側を見るという順序になります。これに慣れていると、日本でも同じよう左を見てから右を見るという事をしてしまって、「あ、しまった」と思う事があります。「まず右を見なきゃ。どうしていつまでも左を見てるの?」と神様から注意されそうに感じ、一人苦笑いをします。

今日の聖書の使徒言行録では、「なぜ天を見上げて立っているのか。」と天使らしき人に弟子たちは聞かれました。今日は、イエス様の昇天主日でもあります。今日の聖書のメッセージを聞いていきましょう。

2.聖書

なぜ弟子たちは天を見上げて立っていたのでしょうか。それは、聖書で読んだ通り、イエス・キリストが弟子たちが見ている前で、天に上られたからです。

ところで、クリスマスの前、待降節の最初の祈りの言葉を覚えているでしょうか?それはこうでした。「主イエス・キリスト。力を奮って来てください。」それは、イザヤ書の祈りの言葉にも通じるものがあります。「どうか、天を裂いて降ってください。」その祈りの声に応えるかのように、長く待った末に神の子が下ってこられたのがイエス・キリストです。そして、地上でのお働きを終えて、天に昇って行かれたというのが今日の出来事です。

弟子たちは、天を仰ぎ、あっけにとられ、神々しさを畏れて見るのと同時に、きっと、取り残されてどうしたらよいのかという茫然自失の気持ちもあったに違いありません。そんな彼らに、天使は声をかけたのです。「なぜ、天を見上げて立っているのか」と。それは、視線を天に向け、そのままではなくて、地にも向けさせる必要があったからです。「いつまでも見上げたままではいけない。同じありさまでまたおいでになる。」そしてそれは、「それまでにやることがないか?」という風に私には聞こえてきます。

横断歩道でもそうです。右を見て左を見て。そのあとが大切です。いつまでも左右を見てばかりでもいけません。安全を確認したら、道を横切って渡るからこそ意味があるのです。それでこそ、目的地に近づけるのです。

3.振り返り

先週は時間をいただいて、実家に戻ってきました。急遽入院手術することになった父の世話のためです。母も老人ホームに入り、兄はおりますが東京で忙しくテキパキと世話をするのはむつかしく、私しかいません。時間をいただいてありがとうございました。父は、90歳になり、だいぶん耳や、理解力や、記憶力が衰えました。荷物の準備をして、病院へ行き、6階の病棟の入り口で手を振ってしばしの別れでした。

実家に帰って、気になっていたところを掃除をしたりワックスがけをしたり、そして夕食をしながらあることに気が付きました。「実家に一人で泊って一人で夕食をしたのは、人生初めてだ!」と。まだ両親は生きていますが、こうして、実家にポツンと一人でいると、いずれこんな風に別れていくんだろうなぁ、としみじみしました。他の日は忙しくて外食をしましたが、父がよくいくお店でよく食べている、九州の焼うどんを一人で食べてみました。夜は、庭に出て空を見上げて驚きました。こんなに星がきれいで大きく見えるのは久しぶりだなと。高校生の頃、受験勉強をしながらよく外に出て星を見上げたことを思い出します。そして考えました。「それにしても、TVをつけると嫌なニュースばかり。悪いニュースばかりだなぁ。何か、いいニュースはないのか?」と独り言を言いながら気が付きました。「いいニュースはあるよ。Good Newsは神様の福音じゃないか。」と自分に言い聞かせて、我に戻りました。

家族が病気で大変な中、忙しく段取りをして、一人走り回って。そして、一人ぼっちの家の中や、外で夜空を見上げながら、ぼんやりしていましたが、急に引き戻された感じでした。

福音とは、ギリシャ語でエヴァンゲリオン、英語にすればGood News.むつかしく悲しいことが多いニュースばかり見せられるし、自分の人生も今ちょっとした大変な峠に差し掛からおうとしている。けれど、Bad Newsばかりではない。Good Newsが聖書に書かれている。それを伝える仕事を自分はしているんじゃないか、と、我に帰らされたのです。

4.勧め

空を見上げて呆然自失の弟子たちも、きっとそうだったのかなと思いました。そんなときに、天使に声をかけられて我に戻ります。彼らがすることは、「証人になる」ことです。神様の救いの計画や出来事、そしてイエス・キリストの語られたこと、されたことを、多くの人に伝え、助けていくこと、それが彼らの弟子としての使命だったのです。弟子たちと別れる前にイエスキリストが言われた言葉はこうでした。「地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

私たちも、とらえられない出来事や、受け入れられないむつかしさに直面することがあります。茫然とすることがあるでしょう。悲しいことや、赦せないことに心が支配されることもあるでしょう。その時、今日の言葉を思い起こしましょう。私たちも、我に戻り、福音を思い出し、キリスト者として生きていきましょう。

神様を思って、天を、上を見上げることも必要ですが、私たちの足元、それも左右前後を見て、神様の助けを必要としている人に出会っていきましょう。

神様の祝福をお祈りします。 

 

 

ニュースを見て気になるキリスト教ワンポイント講座

そういえば、ロシア正教ってどんなキリスト教?

<ロシア正教と、街の名前の雑学編> 

私たちは、こどもに名前を付けるときに、祈りと願いの気持ちを込めて名前を付けるでしょう。先週の高蔵寺教会の教会学校では、そんなことを考えました。アダムとエバの名前の意味を聖書から学びました。そして、自分の名前は、どんな意味があって、どんな祈りがあったのか、そんなことを紹介しあいました。ご両親のいろいろな願いが込められたそれぞれの名前を知ることができました。

そして、人は街や土地の名前にも祈りや意味を込めます。聖書でもそんなエピソード付きの土地の名前がいくつも出てきます。

最近考えさせられるのは、ロシアの首都に次ぐ第二の都市、ペテロブルグです。正式にはサンクト・ペテルブルグですが、「聖ペテロの街」という意味ですね。この街を作らせたピョートル1世が自分の名前と同じ聖人の名前、ペトロの名をつけさせたのが理由とのことです。そう、ピョートルもペトロのことだったのですね。そして、その名を付けた街の名前が、当初はオランド風にサンクト・ピーテルブール と呼ばれていましたが、後にドイツ語風にサンクト・ペテルブルクと呼ばれるようになったそうです。しかし、第一次大戦でロシアがドイツと交戦状態に入ると、ロシア語風の読み方、ペテログラードに変えられます。ところが、ロシア革命によって、ソビエト連邦になると、建国の父、ウラジミール・レーニンの名にちなんで、ペトロの名を捨てさせてレーニングラードと変えられました。しかしまた歴史は流れて、ソ連崩壊ののち、住民投票により選ばれた名前は、慣れ親しんだサンクト・ペテルブルグに戻ったというのです。

歴史の流れに翻弄されて、街の名前は数度変わり、また戻り、という歴史を持っているのです。大変興味深いですね。

そういえば、先回出てきましたが、当初キリスト教を迫害していたローマ帝国でしたが、コンスタンティヌス帝が313年に公認したということでした。そして、ローマ帝国の東の主要都市はコンスタンチノープルと名付けられていきます。その後、トルコになってイスタンブールとなりました。トルコはイスラム教の国。そしてNATO加盟国家ですが、最近フィンランドとスエーデンのNATO加盟について異議を唱えている国ですね。

ちなみに、これらフィンランドとスエーデンはキリスト教の国で、宗教改革を早くに受け入れ、それぞれルーテル教会が国教でした。

今の祈りは、この戦争が早く集結し、互いが互いを尊重しあって共存できる世界になることです。間違っても、ウラジミール・レーニンの名をとってレーニングラードができたように、ウラジミール・プーチン氏の名前がつけられた街ができないようにと祈るばかりです。(続く)


2022年5月22日日曜日

礼拝中継20220522(復活教会での説教)

今日は、名古屋市東区のルーテル復活教会での収録です

「去ってゆかれるキリストの言葉」 徳弘牧師

「最後に言っておきたいこと」は私たちに誰にもあるでしょう。それが突然やってきても、急いでメモを残したりもします。悲しい気の毒な話ですが、飛行機や船の事故で、もう十数分しか持たないとわかったときに、紙切れや携帯電話でメッセージを残して大切な人に送るという事も時折報じられてきました。

イエス様は、私たちに対してどうでしょうか。

 

2022年5月21日土曜日

礼拝式次第とメッセージ、コラム 20220522

礼拝式次第

活節第6主日礼拝 (2022/05/22)

 

前奏

★初めの歌    教会讃美歌181

★罪の告白                                         (式文12)

★キリエ・グロリア                                     (式文34)

☆つどいの祈り  ()しみない(あい)(かみ)(さま)。あなたは(わたし)たちをあなたの(その)(まね)き、(いのち)()から()べさせてくださいます。(れい)(ちから)によって(はげ)まされ、(たが)いに(あい)()い、あなたの(つく)られた()(かい)(たい)(せつ)(まも)ることができるよう、()(こと)()(やしな)ってください。あなたと聖霊(せいれい)とともにただ(ひと)りの(かみ)永遠(えいえん)支配者(しはいしゃ)御子(みこ)(しゅ)イエス(いえす)キリスト(きりすと)によって(いの)ります。アーメン(あーめん)

第1日課    使徒言行録16: 915                  (245)

第2日課     黙示録21:10,2222:5              (478)

★ハレルヤ唱                                       (式文6)

★福音書    ヨハネ14:2329                    (197)

★みことばの歌     教会讃美歌339

説教     「去ってゆかれるキリストの言葉」

                                 徳弘浩隆牧師(代読:山下裕子) 

感謝の歌    教会讃美歌394

★信仰告白    ――使徒――                 (式文7頁)

感謝献金     奉献唱・奉献の祈り              (式文79)

教会の祈り                                  (式文1011)

★主の祈り                                    (式文11)

★祝 福                                     (式文12)

終わりの歌     教会讃美歌361

後  奏   

                       注)★の所では、無理のない方はご起立ください。 


今週の聖書の言葉

05月22日 ヨハネ14:23~29 (新197)

14: 23イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。 24わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

25わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。 26しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。 27わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。 28『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。 29事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。


説教

「去ってゆかれるキリストの言葉」 徳弘牧師

1.最後に言っておきたいこと…

「最後に言っておきたいこと」は私たちに誰にもあるでしょう。それが突然やってきても、急いでメモを残したりもします。悲しい気の毒な話ですが、飛行機や船の事故で、もう十数分しか持たないとわかったときに、紙切れや携帯電話でメッセージを残して大切な人に送るという事も時折報じられてきました。

今回の観光船の事故では「船が沈みそうだ。今までありがとう」と奥様に最後の電話をされた方もおられたそうです。また、この旅行でサプライズのプロポーズをしようと計画していた若者は、その手紙やプレゼントを渡すことができなくて犠牲になられたというニュースも聴き、いたたまれない気持ちにもなりました。

私も母が特養に入り少し安心しましたが、面会も電話もできず、日が過ぎていきます。病気の後遺症や痴呆が進むと、まだ長生きはするかもしれないけれど、言っておきたかった事、聞いておきたかったことは、もう果たせずに何年か後にお別れの日が来るのかなと思うこともあります。親子でも、この人の人生や、あのときのあの気持ちを聞いたり伝えたり、感謝したり詫びたりしていないままだったなと、いくつかの思い出があるものです。このように、私たちはこの世の命でお別れが来るときに、言っておきたいこと、そして聞いておきたいことが誰にでもあるだろうと思います。

イエス様は、私たちに対してどうでしょうか。

2.聖書

先週から学んでいる通り、ヨハネ福音書の13章から16章は、後に「告別説教」と呼ばれるようになった箇所です。文字通りイエス様の最後の言葉が続き、最後は17章のお祈りで締めくくられています。

これから十字架にかかるという場面で、弟子たちに長い話をされ、祈られたのです。やがて復活されますが、今までの生活では十字架の死の最後が近づいています。イエス様は、何を言い残されたのでしょうか。

先週学んだ13章では、「新しい掟」として、「互いに愛し合う事」を命じられました。

そして今日は14章の後半の「聖霊を与える約束」と小見出しが後につけられたところです。

ここでもう一度イエス様は、「新しい掟」、「互いに愛し合う事」を教えます。そして、これらは自分が一緒にいた時に話してきた事柄だが、父なる神がイエス様の名によって聖霊を送られる時に、すべてを教え、思い起こさせてくれると、別れた後のことを言い残していかれたのです。

去っていくがまた戻ってくる、私を愛しているなら、私が父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ、と続きます。別れていくことになる、それは死への道のりでもあるが、この別れを理解し、喜んでほしいと、心を騒がせたりおびえないようにと、安心するようにも勧められたのです。

3.振り返り

これから起こることがわからないということが多くあるのが私たちの人生です。それどころか、今目の前で起こることさえ、理解できなかったり、受け止めることができない、そんなことも多くあります。

しかしそこに、神様のご計画があることを説明されるのがイエス様でした。たとえそれが普通の考えでは理解できず、受け入れることができないようなことでもです。裏切られ、とらえられ、十字架にかかっていくことになる場面でさえ、イエス様は弟子たちとその将来を気遣いながら、これから起こることを前もって話されました。それは、安心させるためでした。そして、彼らが、あとから信じることができるようになるためでした。このように、別れの間際のイエス様の言葉は、ご自分のことではありませんでした。

神を信じ、人を愛すること。それを最後まで教え、最後まで全うして十字架に行かれたのがイエス様でした。

最後の言い残す言葉は「遺言」とも言いますが、イエス様の弟子たちに、そして人類に命と引き換えに残していかれた言葉・遺言は、その信仰と愛でしたし、その「生き方」、「死にざま」そのものだったのです。

遺言は英語ではTestamentといいます。そしてその言葉は証言や、契約という意味合いも持っています。

イエス様が残された遺言、契約、そしてそれを体験した弟子たちの証言、それが書物としてまとめられていったのが新約聖書。英語ではThe New Testamentという通りです。新しい契約、新しい掟であるからです。

4.勧め

私たちが不安や苦しみや怒りの中にあっても、受け取れないような苦しみや迷いの中にあっても、イエス様はそんな私たちのために、自分の命と引き換えに神様の救いを私たちに与え、死の道への間際に私たちに残された言葉が、この新しい掟と神様のご計画でした。

安心しなさい、後できっとわかる。聖霊が助けてくれる。後から理解できるように、あらかじめ話しておく、というのもイエス様の遺言でした。

今までの自分勝手な生き方という自分のルールでなく、神様と生きていくルールを、そしてイエス様によって開かれた新しいルールを行きましょう。それらが旧約(古い契約)と新約(新しい契約)と考えてもいいでしょう。そんな新しい生き方を、一緒に始めませんか?あなたをお待ちしています。

 

  

ニュースを見て気になるキリスト教ワンポイント講座

そういえば、ロシア正教ってどんなキリスト教? 

今日は東方正教会に話を戻しましょう。1054年に東西にキリスト教が分かれたという事情を見ていきます。

ローマ帝国とキリスト教の関係から復習しますと、キリスト教を迫害していたローマ帝国でしたが、コンスタンティヌス帝が313年に公認しました。夢に見せられた通り「XとP」というギリシャ語でのキリストの文字をあしらった盾で戦争に勝ったという言い伝えが残っています。このデザインは教会の週報のデザインで奈良部牧師が使っていたものです。その後テオドシウス帝の時392年についにキリスト教はローマ帝国の国教とされました。しかし、395年テオドシウス帝の死後二人の子に分割統治させていたのですが、帝国は東西に分裂してしまいます。西はローマを中心とし、東はコンスタンティノープルが中心でした。5世紀くらいから11世紀までの間に、西のローマと東のコンスタンチノープルという二大都市を中心に政治的だけでなく教義や慣習においても溝があり深まってきました。

教会も1054年の分裂前から違いがあり、聖霊論という神学的なものから、聖像を認めるか認めないか、聖職者が結婚するか、髭をそってよいかどうか、聖餐式のパンは種入りか入れないか、クリスマスや復活祭の日程をどう決めるかなどの教会の慣習も違いがありました。

この東の教会がギリシャ、ロシアから東欧や中東地域へ広がって行き、今のロシアや、ウクライナ、コプト、アルメニア、シリアなどの「正教会」という事になります。

最近のニュースで見ることがあるかと思いますが、ロシア正教やウクライナ正教の聖職者たちは髭を生やして黒い式服を着ているので見分けやすいかもしれません。教会はキリストのおられる十字架ではなくて、イコンというやや無表情のキリストやマリアの絵が正面に置かれ、たくさんのロウソクがともされ、聖壇の奥の壁で区切られたさらに奥は至聖所として聖職者しか入れないそうです。

暦が違うので一週間程ずれる復活祭は、私も東京やサンパウロで参加することができましたが、深夜に礼拝があり、真っ暗な礼拝堂から黒い棺を肩に担いだ人たちが教会の周りを数周回り、「ハリストス復活!」と叫び、ろうそくで明るくされた礼拝堂に入っていく礼拝は我々からするととても「異国情緒」があるものです。

「イコン」はパソコンで使う「絵のデザイン」でそのボタンの意味を表す「アイコン」と同じ語源、「ハリストス」はギリシャ語風に発音した「キリスト」のことだと以前書きましたが、ほかには、ヨハネのことはイオアーンといい、ロシアの「イワンのバカ」という本で有名なイワンのことだとわかると意外と身近になりますね。

写真のイコンは1994年に東京の教会にいたころ、付属幼稚園の元卒園生にいただいたロシアのお土産のイコンです。このイコンにはロシア語で「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15.12-13)が書かれているようです。いまこそ、大切なキリストの言葉ですね。(続く)

きょうかいがっこう!

教会学校、たのしかったね。またあつまろう😉 

今日は旧約聖書からのシリーズ開始。まずは、アダムとエバの名前のいみと、神様の天地創造、土で作られたけれど命の息吹を吹き込んで生きたものにされたことなどを礼拝で学びました。そして自分の名前、お友達の名前についてゲームで教えあい、サインしあい、考えました。最後の聖書かるたも白熱して楽しかったね。

学校のお勉強とは違う、大切な心を育てる時間です。参加されたい方、ご連絡、ご相談ください!







2022年5月15日日曜日

礼拝メッセージ 20220515

今週の聖書の言葉

 ヨハネ 13:31~35 (新195) より

34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

説教

 「キリストが愛されたように」 徳弘浩隆牧師

Video

 


https://youtu.be/5iED4RIs9BE


礼拝の中継についてお知らせ

1,まずはFacebookで以下のアカウントからFacebook友人限定で配信します。

 https://www.facebook.com/hirotaka.tokuhiro

2,そのご、Facebookで公開で配信できると思います。

3,夕刻にYoutube利用で、このブログに掲載します。

4,将来的にはYoutubeでライブ配信できるよう考えています。

会員の皆さんの合意と、機材と担当者の負担を減らすため牧師が一人でできるような方法を模索しています。よろしくお願いいたします。

説教メッセージ 20220515

式次第 復活節第5主日礼拝 (2022/05/15)

前奏

★初めの歌 教会讃美歌170番

★罪の告白 (式文1~2頁)

★キリエ・グロリア (式文3~4頁)

☆つどいの祈り 主(しゅ)なる神(かみ)様(さま)。あなたは、愛(あい)なしにはすべての業(わざ)は虚(むな)しいと教(おし)えてくださいます。何(なに)が平(へい)和(わ)か、何(なに)が良(よ)いことかを理(り)解(かい)できるように、聖(せい)霊(れい)によって生(い)きて働(はたら)く愛(あい)の賜(たま)物(もの)を注(そそ)いでください。あなたと聖(せい)霊(れい)とともにただ独(ひと)りの神(かみ)、永(えい)遠(えん)の支(し)配(はい)者(しゃ)、御(み)子(こ)、主(しゅ)イエス(いえす)・キリスト(きりすと)によって祈(いの)ります。アーメン(あーめん)

第1日課 使徒言行録11: 1~18 (新234)

第2日課 黙示録21: 1~6b (新477)

★ハレルヤ唱 (式文6頁)

★福音書 ヨハネ13:31~35 (新195)

こどもせっきょう 聖書日課による子どもたちへのお話し

★みことばの歌 教会讃美歌399番

説教 「キリストが愛されたように」

徳弘浩隆牧師 

★信仰告白 ――ニケア信条―― (式文7頁)

感謝献金 奉献唱・奉献の祈り 式文7~9頁)

聖餐の歌 教会讃美歌335番

★聖餐式 (聖餐式文10~14頁)

★ヌンクディミティス~教会の祈り   (聖餐式文15~16頁)

★祝 福 (式文12頁)

終わりの歌 教会讃美歌348番

後  奏

注)★の所では、無理のない方はご起立ください。


今週の聖書の言葉

05月15日 ヨハネ13:31~35 (新195) より

34あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 35互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」


説教「キリストが愛されたように」徳弘浩隆牧師

1.「学ぶ」と「マネ」が同じ語源?…

牧師は毎週の日曜日の聖書の個所を読んで、祈りながら一週間あれこれ考え過ごします。そんな中で、学んだり、気づかされたり、反省・悔い改めをさせられたり、自分の失敗を思い返したりします。それを聖書の学びとともに整理して、「今の私たちに語り掛ける神の声を、取り次ぐ」というのが礼拝の中の説教です。間違えの無いように聖書の書かれたそれぞれの時代や言語をできるだけ学んで、核心に迫ろうとします。それはその言葉を一緒に聞いている会衆や状況も大切です。そうでなければ、ただの一般的な解説です。難しさがある今の現状、そしてキリストが語られ、聖書が書かれた時と共通性もある人間の深いところで、神の言葉を聞き取ることが大切だと、日々格闘しています。

今週は、「マネする」という事が頭について回りました。キリストが「私があなた方を愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と言われたからです。

マネをする、そっくりなもの・イミテーション、という言葉も頭から離れず、祈りながら過ごしました。

キリストが言われた言葉の意味を、今の私たちの生き方へのメッセージを、一緒に聞いていきましょう。

2.聖書

今日の聖書の場所は、イエス様が十字架にかかる前の場面ですから、復活後第5主日の今日読むには時間軸としては前後しています。しかし、それが今日読まれる理由はこうです。ヨハネの福音書の13章から17章は「イエスの告別説教」と「イエスの祈り」と呼ばれる場所で、十字架に向かっていく際に、弟子たちに今までのまとめやこれから起こること、そして分かれていくことになるけれども言い残しておくことを長く語られ、祈られるところです。その後、十字架にかけられ、葬られ、復活されたという出来事を4月から一緒にたどりながら見てきましたが、教会のカレンダーはいよいよ、あと3週でキリストが天に帰られ、聖霊が降ってくるという大きな転換期に差し掛かります。そこで、十字架にかかる前に語られたキリストの言葉、神様のご計画の説明と、私たちが生きるべき道をもう一度聞き取るという必要があるからです。

ここで何度か出てくるキリストの言葉は、「新しい掟」として、「互いに愛し合う事」を命じられ、そしてそれは「私があなたがたを愛したように」という理由と方法の説明でした。それが弟子としての生き方であり、それを皆が知るようになると。キリストに従う者の生き方と、それを通しての宣教が語られています。

3.振り返り

さて、「はい、了解しました。ごもっともな教えです」で終わらずに、自分はそう生きているだろうか?といつも聖書の言葉を聞いた後、振り返りが必要です。

その時私たちは見つけます。なかなかそうできていない自分を、です。そして、それは家庭や社会や世界の状況でも同じだ、とも。いつまで人間は、争い殺し合っているのか。脅しあい、力づくで追い出し、略奪し、連れ去るのです。

もうそんな野蛮な時代は終わったと思っていましたが、武力で侵略され、滅ぼされ、他国に連行される国民や、命からがら脱出するありさまを見ながら、聖書にあるバビロン捕囚や出エジプトの出来事も、リアルに考えるとこういう出来事でもあったのかと思わされます。もちろん、神様の裁きやご計画があったかは違いますが、戦争としての出来事は繰り返されています。

どうしたらいいのでしょうか。それを解決し人間をその罪の泥沼から救い出すためにキリストは何をされたのでしょうか。それが今日の聖書の言葉でした。

敵を愛し、赦し、神を信じ、命さえ身代わりに差し出された十字架と、それに向う告別説教です。それは予想外にシンプルでした。「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」でした。キリストの生き方を「マネ」することなのです。

4.勧め

マネとは漢字で書くと「真似」となります。真(まこと)に似(に)ているのです。ついでに言うと、「学ぶ」も「まね」と同じ語源ともいわれるので驚きです。また、イミテーションというと偽物という印象がありますが、イミタチオ・クリスティという有名な本は「キリストに倣いて」と訳されています。これは15世紀の宗教改革前の偉大なディヴォーションの修道士向けの手引きで、プロテスタント教会でも親しまれてきました。日本でも16世紀に既に天正遣欧少年使節の一人の原マルティノが抄訳をしています。こんな聖書の後の時代のキリスト教の歴史は意外と知られず、興味深いところで、私は教会の聖書研究会でも取り上げてきました。この本自体は、「俗世を蔑視し、苦行、克己、キリストへの献身を通じてキリストに倣うことを目的」とされていて、評価が分かれるかと思いますし、それがすべて今の私たちへの指針にはならないかと思いますが、この、「キリストに倣う」生き方を、考え、取り組むことが必要だと、教えられます。

「私が愛したように」とは自分が赦され愛されたことを思い出す温かい言葉ですが、「そのように人を愛しなさい」とは自分には難しいことです。キリストは裏切られ、悪口を言われたからです。そこまでして人を赦し愛することができるだろうか。でも大丈夫です。それを承知で、身代わりで死なれた方がキリストだからです。この方にお任せして、時にはぶつかったり、時にはゆるしあったりしながら成長させられていくのが、教会という共同体だからです。教会に来てみませんか?一緒に、キリストとともに生きていきましょう。

キリストを真似て、キリストに学んで、生きていきましょう。失敗しても、キリストがおられます。 

 

 

ニュースを見て気になるキリスト教ワンポイント講座

キリスト教って、カトリックとプロテスタントの二つでしょ?いえ、違います。そういえば、ロシア正教ってどんなキリスト教? そして…?

最初のプロテスタント教会はマルティン・ルターの宗教改革で生まれたルーテル教会です。分離しようとしたのではなくて、神学者ルターは教会の救いに関する教えに聖書の教えに照らして疑問を持ち、神学的な議論を始めようとしました。「95か条の提題」という文書を教会の掲示板に掲示したのが1517年10月31日だったとされています。石造りの教会の掲示板は、木製の扉だったのです。それはまずラテン語で書かれたので、相手はローマの教会であり神学的な議論をしようとした、ということが理解できます。

1054年に分裂したローマ・カトリック教会と東方正教会は相互に破門したのですが、ルターの時は神学議論をして、誤りが明確になれば正そうとしたのに、持論を取り下げるよう迫られそれを拒んだ結果破門された、という違いがあります。キリスト教社会や国家での「破門」は市民権を失うようなもので市民としての法的な保護もなく、命の危険もありました。それで一時、地方領主にさらわれるように連れ去られ保護を受けました。ヴァルトブルク城にこもって、その期間を利用して聖書をみんなが読むことができる自国語に翻訳したのです。それまではミサも聖書もラテン語でしたから、一般民衆はミサに出ても意味が分からず、偉い聖職者たちが聖壇で繰り広げる儀式をありがたく見て、聖餐式に預かるという儀式でした。それはちょうど、意味の分からないお経を聞いて足のしびれを我慢する仏式の法要(失礼ですみません!)に似ていると考えればわかりやすいかもしれません。私はブラジルで日系人移民の合同慰霊祭に毎年招かれていました。式は仏式、カトリック、プロテスタントの順であり、会衆は「入れ替えなし」で順に参加する、移民先のブラジルらしいものでした。お坊さんと神父さんとも仲良くなり、終われば食事を一緒にしました。ある日、アメリカ出身のお坊さんが読経の後、般若心経がわかりにくいのでとポルトガル語で意味を説明されました。その時、「お経の意味は分からないものだと思っていたけれど、ポルトガル語で説明してくれたので、初めて意味が分かりました」と日系人の方々が言われ、私も意気投合しました。ルターの聖書翻訳は当時、そんなインパクトがあったのだと感慨深かったものです。

さて左の図ではカトリックとルター派の間に後から生まれた聖公会が書かれています。時系列ではなく、カトリック教会により近いという意味で上に書きました。教理の論争のみではなくて、英国のカトリック教会がそのまま分離したので、カトリック的なものをたくさん残しています。ですから、カトリックとプロテスタントをつなぐBridge Church(橋の教会)と呼ばれることもあります。

その後たくさんのプロテスタント教会も生まれますが、それぞれ対立や戦争さえあり、残念な悲しい時代が続きました。ルター自身、農民戦争を当初支持したり、「キリストを十字架につけたユダヤ人」に差別的な発言をしたりもしました。その辺りは客観化せねばなりません。

ルーテル教会は、このローマ・カトリック教会と、聖公会とはそれぞれ神学的対話を続け、「洗礼の相互承認」などをしていますし、ローマ・カトリック教会とは「救いの教義に関する共同宣言」を出し約500年前の論争に終止符を打ちました。でも即・再合同するとか、そういう事ではありません。今後も対話や協働が模索されます。(続く)

 


教会へきてみませんか? 教会は敷居が高い? いや、ご遠慮なく。

・日曜日は10.30-12.00までは礼拝、主任牧師がいる週(隔週)は9.45-10.15まで勉強会・質問コーナーも。

・週日にも、聖書を学んで祈る会があります。こどもたちの心を育てる教会学校もあります。

・地域への奉仕や、外国人への日本語教室、通訳支援(英語・ポルトガル語・スペイン語)なども牧師は取り組んでいます。

・個人的相談や祈りも、いつでも受け付けています。秘密厳守ですから安心ください。

主任牧師までお電話を。ルーテル高蔵寺教会・復活教会 牧師:徳弘浩隆


2022年5月14日土曜日

教会って、入りにくいですか?    じゃ、これでちょっと、 見てみませんか?

教会の掲示板にQRコードを貼ろうという事になり、作ってみました。


教会って、入りにくいですか? 実は、牧師も昔そうでした。 入るの勇気いりました。

じゃ、これでちょっと、見てみませんか?

 スマホのカメラでこれを見ると、教会のホームページにジャンプできます。

 スマホやパソコンの使い方も分からない? シニアスマホ講座なども始めますよ!




2022年5月7日土曜日

タラント・ショップ

 タラント・ショップ、楽しい集いの場がありますよ。今日はまずお邪魔して、少しお買い物してcafeしておしゃべり。




 

いろいろやりたいですね。これからもよろしく。次回は6月4日(土)10:00-14:00です。またね。

2022年5月4日水曜日

外国メンバーが除草作業など奉仕と交流

 5月4日は連休の中、徳弘牧師がお世話している外国メンバーが高蔵寺教会に集まり、奉仕と日本語交流をしました。この日の参加者はブラジル、ヴェトナム、インドネシアのメンバーで6名(+私たち夫婦)。互いに母国語では通じないので、習いたての日本語が彼らの共通言語です。そんなおしゃべりも、彼らの日本語上達には欠かせません。

徳弘牧師夫妻は2019年から「ぺらぺらクラブ」という日本語教室を岐阜県で主宰し十数名が出入りしてくれていますが、うち二人は愛知県在住。日本語能力試験や技能実習生としての職場や特定技能ビザ取得支援、お困りごとの法律相談に同行、ハローワークや職場での通訳なども支援しています。今回休みの予定が合ったメンバが集まってくれ、教会敷地や隣地に飛び出していた雑草などの除草作業、日除けにもなるゴーヤなどの家庭菜園づくりなども手伝ってくれました。まだバーベキューなどはコロナ対策で自粛しましたが、今後、楽しい集まりも皆さんと一緒にしたいですね。


インドネシアのメンバーはルーテル教会員でもあり、先日の日曜日は礼拝にも出席し、賛美もしてくれ、お茶を飲みながら皆さんと交流もしました。


日本に住み、日本社会を動かす一員として頑張ってもくれている彼らを、日本社会がその一員としてきちんと受け入れ、尊重し合いながら共生していけるようになればと願い、できることから始めています。

高蔵寺教会でも、またネット上でもこんな交流コミュニティーを育てていければと思います。外国語ができる方だけでなく、全然できない方も彼らの日本語上達には大切な仲間です。お力をお貸しください。また、助けが必要な方がおられたら、ご紹介ください。


説教メッセージ 20240512

 聖書の言葉  ルカ 24:44~53 と 使徒言行録 1: 1~11 (新213) 1:1-2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。...