2023年2月25日土曜日

説教・礼拝メッセージ 20230226

「悪魔は悪魔の顔をして来ないんですよね…」とは私の知り合いで、苦労された方の言葉です。なるほど、そうだなと思わされます。デビルマン?のような羽がある悪魔だったら、だれも騙されないかもしれません。では、どんな顔をしているのでしょうか?それは、意外な、あなたもよく知っている人の顔かもしれません。教会は、今日から四旬節。自分の心の奥の罪の心を見つめ、静かに悔い改めて過ごしましょう。礼拝は、久しぶりに私一人での担当です。復活教会の礼拝、そしてFacebookやYoutubeの中継もします。お待ちしています。

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 聖書の言葉 マタイ 4: 1~11(新4)

1さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。 2そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。 

3すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」 4イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」 

5次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、 6言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」 7イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。 

8更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、 9「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。 10すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」 

11そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。」


説教「悪魔は悪魔の顔をして来ない」 徳弘浩隆牧師

1. 神殿の屋根の端に立って…

今日から、四旬節・レントといわれる季節に入りました。私の親の入院騒ぎで急遽休会になりましたが、先週水曜日は「灰の水曜日」でした。そこから教会の典礼色は紫色になり、自分を見つめ、静かに悔い改める機関がイエス様の十字架と復活の日まで続きます。

洗礼を受けておられない、つまり小児洗礼でなかった成人の方は、この静かな季節を教会での学びや祈りで過ごし、復活祭の日に洗礼を受けるということも、広くあったようです。

さて、そんな復活祭に、復活教会ではその耐震工事や修復工事が無事に終わって、一緒に喜ぶことができればと、工事関係者には頑張っていただいています。復活教会の皆さんも、先週は仮の礼拝堂を作るために、ご苦労下さったと聞きました。ありがとうございます。

教会の十字架の塔も、外で下から見上げるときれいで、銅は、金色に輝いているようにも見えます。

この期間、足場がありますから、何度か上まで上がって教会を、そして近隣を見下ろしながら眺めてみました。徳川園も眼下に見えて、なかなか良い景色でした。その時思いだしたのが、今日の聖書の個所でした。イエス様が。神殿の屋根の端に立って、悪魔の誘惑の言葉を聞きます。そして、高い山の上にも連れていかれ、悪魔の巧みな言葉に試みられるからです。

教会の塔の上で、「ここから飛び降りても天使が守ってくれるかなぁ?」とか、「悪魔にひれ伏したなら見える全てをくれるといわれたら、どうしようかなぁ」と、苦笑いしながら考えてもみました。

今日の聖書の出来事は、どうなっているでしょうか?今日、私たちが読む意味は、どこにあるのでしょうか?一緒に読んでいきましょう。

2,聖書

 有名なところで、毎年この季節に読むのでおなじみのところかもしれません。

イエス様は、悪魔から誘惑を受けます。3つの問答がありました。見ていきましょう。

1) 断食をして空腹を覚えているのを見計らって、悪魔は「神の子なら石をパンに変えてみよ」といわれますが、「人はパンだけで生きるのではなくて、神の口から出る言葉で生きるのだ」と退けました。

2) 次に、聖なる都、つまりエルサレムの神殿の屋根の端で、「神の子なら、飛び降りても大丈夫なはずだ。聖書にこう書いてあるから」、と言われますが、「主を試みてはならないとも書いてある」、とそれを退けます。

3) 最後に、非常に高い山の上で、世界の繁栄ぶりを見せられた後、「ひれ伏して私を拝むなら、これをみんなあげよう」と言われますが、「ただ神である主を拝み、ただ主に仕えよと書いてある」と、これも退けました。

 このようにイエス様は、神の子だからという傲慢さを退け、神の子だから何をしても守られるという試みを退け、この世の富に目がくらむことなく神様に仕えることを選び取ったのでした。

 それらを退けたイエス様の武器ともいえるものは、ただの祈りや、自分の信念、または根性ともいえるような精神力ではなくて、神様ご自身の言葉だったという事が大切なところです。一つ目は申命記8.3、二つ目は申命記6.16、三つめは申命記6.13がイエス様の引用された聖書の言葉でした。一方、悪魔の誘惑も、詩篇9.11-13を使って誘惑してきたのでした。神の言葉を巧妙に持ち出して誘惑してくる悪魔には、自分の考えや言葉ではなくて、神の言葉で返して退けるという事です。悪魔と戦い打ち勝つ武器があるとすれば、それはただ一つ、「神様の言葉」なのです。イエス様ご自身がそうされたという事を大切にし、そこから学ばなければいけません。

 3,振り返り 

私達はどうでしょうか?トラブルや試練の時に、自分の考えや感情ではなくて、神様の言葉に答えを求めることができているでしょうか?

さて、この問答を聞いて思い出すことがないでしょうか?それは、アダムとエバが、神を離れて罪を犯していったときのことです。あそこで描かれているヘビも、無茶な問答で彼らに迫ったのではありません。「本当に神はこういったのですか?」と聞いてきました。神の存在を信じるヘビが、その方に背かせるように、神様の言葉を持ち出しました。「神様なんか、いないよ!」という言葉ではありませんでした。自分の考えや信仰を真っ向から否定されると逆に人間は、強くなります。「宗教は迫害される時にこそ、強くなり、成長する」といわれるとおりです。真っ向から否定するのではなく、神の存在を認め、こちらの信念や信仰を認めたうえで、神の言葉を前提に、その言葉尻から、誘惑してくるのです。

 わたしは、ダルクの後援会長を仰せつかっていますが、そのメンバーの方の言葉を思い出します。薬物やアルコールの依存からなかなか抜けきれない中、苦労しながら、自分を見つめ、正直に自分を語り、新しい生き方を求め、助け合いながらそれを生きている方々です。

 昔の格闘しながら生きていたころの話をされた後、笑いながらその方が言われました。「でも先生、悪魔は悪魔の顔をしてやってこないんですよね。そこが、むつかしい!」と。助けの手を伸ばしてくれているように見えて、信頼して心を許して世話になりかけたときに、スッと足元をすくわれることがある。そうしてまた、昔の自分に引きずり戻される、というのです。

 なるほど、そうだなと思わされます。イラストにあるような、いかにも悪魔のような、「デビルマン」のような恰好をしているなら、だれも騙されないかもしれません。

今日の悪魔の誘惑は、私たちにどういう意味を持つでしょうか?神殿や山の上に連れていかれて、いかにも悪魔というような存在からそそのかされることではありません。日常に潜んでいる出来事なのです。

それは、1)試練で苦しいときに、自分自身や、目の前のものを無理やり変えて正当化すること。2)信仰を持っていても、自分を過信して傲慢になること。3)神以外のものに心を寄せて生きること。聖書の三つの悪魔の誘惑をそういいかえることができるかもしれません。

4,勧め

 四旬節は、文字通り、40日間のことです。そして、教会のラテン語ではQuadragesimaといいます。ポルトガル語やスペイン語でもイタリア語でも同じ系統ですから似た言い方をします。意味は、「40番目の」という意味です。レントとも言いますが、これはゲルマン語由来の「春」という言葉から来た季節の言い方から来ているのだそうです。イエス様は、40日間断食をしたときには悪魔は誘惑しませんでした。それが終わったとき、40日目に悪魔はやってきます。

 それは、何かを達成したときかもしれません。断食や試練そのものの間は、気も張っているし、信念もあって何も寄せ付けないかもしれません。しかし、達成感があるとき、苦労や試練を抜け出すときこそ、悪魔の誘惑があるのかもしれません。

悪魔は悪魔の顔をして近づいては来ない。それは、よく見ると、自分の心の奥底にある自己中心の罪の心、良く見慣れた自分の顔をしているかもしれません。神様だけにつながって生きていくという事、それが今日の勧めです。そしてそんな過去の自分から抜け出して、罪から解放してくれるために来られたのが、イエス・キリストだという事です。四旬節の期間、そんなことを心にとめて、自分を見詰めていきましょう。この方に従って生きていくときに、安心と本当の心の平和があるのです。さぁ、一緒に歩んでいきましょう。 


牧師コラム カーニバルって?

四旬節の飲酒や肉食も控える静かな期間が始まる直前に、楽しいパーティーをしようというのが発端のカーニバルといわれます。ブラジルでも、今年はコロナあけで3年ぶりに大々的に開催されました。私の知人のサンバの先生たちも活躍している写真を今年もいくつも見ました。カーニバルは多くの日本人の思っているような、肌の露出が多い、ただの乱痴気騒ぎの踊りではありません。各チームは、テーマやストーリーがあり、衣装もそれに合わせて凝っています。時間も守られなければ、減点になり、リオやサンパウロでは毎年どこのチームが優勝するかを競います。今年、サンパウロのカーニバルで優勝したチームは、織田信長が重用し侍にしたアフリカ人奴隷「弥助」とそのストーリーがテーマでした。現地日系の新聞は次のように報じています。<16世紀にキリスト教神父が日本に連れて行ったアフリカ人奴隷が日本で侍に取り立てられて「弥助」となった歴史的逸話をもとに、多彩なアフリカ文化表現も融合した異色のパレードとなった。> 興味深いですね。

関連リンク:

《ブラジル》サンパウロのカーニバル=優勝した黒人侍「弥助」パレードを解説=日本とアフリカがサンバで融合(ブラジル日報) - Yahoo!ニュース


2023年2月18日土曜日

今日はこどもの礼拝(教会学校)!

今日のこども礼拝(教会学校)、来てくれてありがとう。たのしかったね。今日のお話は算数😅? 神様の公式の説明でした。またね!






2023年2月12日日曜日

新しいこと、始めました。Youtube礼拝中継も。

 教会においでになれない方で、オンライン礼拝に出てくださる方もおられますが、今はFacebookでのみやっています。

しかし、参加できるのはFacebookユーザーのみになりますし、パソコンやスマホ・タブレットなどが必須で、少々敷居が高いと思います。

そこで、Youtubeでもできるとよいのですが、担当教会が二か所あり、機材をそれぞれに購入設置する経費が難しく、一人で設置運用するのは煩雑さでトラブルも起きやすく、私の方の敷居が高くて躊躇していました。

しかし、重い腰を上げて、テストを始めています。


こんな感じでお付き合いいただけます。

1,以下のリンクからYoutubeページを見ていただき、チャンネル登録する。

  まずは、これだけでもやってみてください。↓

  Pastor Hirotaka Gabriel TOKUHIRO - YouTube


 


上級編はここから…

2,便利なのは、Amzon 「Fire tv Stick」などを付けた家庭のTVです。リモコンを三つ押すだけで、礼拝参加できます。

1)上記チャンネル登録したアカウントでTVからYoutubeを選ぶと、大型画面のTVで見ることができます。

2)TVですから、ボリューム調整もできますし、見やすく聞きやすいと思います。

3)お手頃価格で、使いやすいのでお勧めは以下のもの。 


 

3,Amzon Fire Stickのリモコンを、お使いのTVのメーカーに設定完了しておけば、

1)リモコンボタンでTVをつける

2)リモコンでYoutubeを選ぶ

3)マイチャンネルの中から、礼拝中継の日時を選んでリモコンボタンを押すと、礼拝参加できます。

4)ボリューム調整もTVをコントロールできます。

5)チャンネル登録していると、予定されたライブ中継が始まるときに、スマホやTVにお知らせも届きます。 

 


試行錯誤中ですが、よろしくお願いします。

 


礼拝中継のご案内

 今日の礼拝は復活教会から、神学生の最後の礼拝を中継します。

1,私のFacebookアカウントからと、

  https://www.facebook.com/hirotaka.tokuhiro

2,今後の利便性を考えてYoutubeでもテスト中継してみます。

  https://www.youtube.com/channel/UCfH-gcNAMrkic4bJhyQIyQg

Youtubeのチャンネル登録もしてみてください。そうすると、AppleTVやAmazon Fire TVなどでご自宅のTVからでも簡単に礼拝参加できます。

お待ちしています。



2023年2月4日土曜日

説教メッセージ 20230205

聖書の言葉 マタイ5:13~20 

13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 15また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

17「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。 18はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。 19だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。 20言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」


説教 「あなたがいてくれて、よかった」 徳弘浩隆牧師

1. 塩について考える…

色々な物価が高くなりました。皆さんもそれぞれ節約したり、工夫をされていると思います。電気やガスも値上げされ、我が家も驚き、気を付けています。小麦粉や多くの食品も。そして、ついに卵もですね。それにつられて、マヨネーズも数度の値上げです。

しかし、マヨネーズに対して我が家はあまり影響を受けません。使わないからです。今は色々なドレッシングがありますが、「サラダにはマヨネーズ」というのが私たちの世代の子供のころからの定番かもしれません。しかし、「サラダはマヨネーズで」という特定の国の習慣や、商業ベースで販売者側が押し付けたともいえる「常識」から解放されると楽になります。それは、サラダという言葉の意味を考えることから始まります。

このサラダの語源は「Sal」という、「塩」という言葉です。英語のSaltですね。古代ギリシャの時代からあった新鮮な生野菜に塩をかけて食べる習慣から来ているそうです。ポルトガル語でも、Saladaというと、「塩で味付けをした」という意味にも聞こえます。ちょっと難しく言うと、Saladaは、「塩で味付けをする」というラテン語のSalareという動詞の過去分詞という事になるからです。ちなみに、スペインやイタリアではパンにバターやマーガリンではなく、オリーブオイルを少しかけて塩を振りかけて食べることもあり、ホテルにもそんなセットも置いてあります。バターの高騰で悩むときに、昔からあるシンプルな食べ方もいいなと思います。

ということで、やや商業的に押し付けられたり、どこかの国の一時的な習慣をそのまま受け継いで「常識」と思っているのは、もともとの意味を見つめて、もっと自由になることができるのに、と思わされます。

聖書の読み方もそういう面があり、必要と思います。イエス様も、当時の「常識」や「慣習」にとらわれず、本当の神様の御心を説明されたといえるからです。

さて、今日は、イエス様も「塩」の話です。一緒に聖書から、イエス様のメッセージを聞いていきましょう。

2,聖書

 今日の聖書は、山上の説教、つまり、イエス様が語られた5章から7章までの長い説教のなかの先週の話のすぐ後のところです。「○○な人は幸いだ」と、集まった群衆を歓迎しながら、しかし、苦しみや悲しみさえ自分の力を過信せず神に出会うために「幸いだ」と驚かせたでしょう。集まった群衆の心にある常識や求めを、ひっくり返しさえして、神様に立ち返ることの大切さと幸いを説きました。

 そして、今日はその続きの話で、「塩」と「光」です。これも、間違って読まれがちとよく注意されるのは、「塩や光になれ」と宗教的・倫理的な目標としての生き方を命じたのではないという事です。

 「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」とキリストが私たちに宣言してくださっているのです。努力して何かと獲得し、神に認められ、そうなるのではなくて、すでに、そうなのだといわれます。

 それは、前段からの続きで聞くなら、このように読んでもいいでしょう。つまり、「人間の力を過信して神など必要ないと傲慢に生きるのではなくて、苦しみ悲しみさえするときに、本当に神に頼る、神に帰ることをするでしょう。それこそ、幸いであり、本当の人間の意味があり価値がある生き方だ」と。そんなあなたたちは、「地の塩、世の光なのだよ」と。ユダヤ教のなかで悔い改めとは、ヘブライ語では「泣いて謝る」ことではなくて、神様に「帰る」ことでした。苦しみや悲しみも経験し、謙虚に神に帰る、そんな生き方をする人々は、「地の塩、世の光になれ」ではなく、「地の塩、世の光である」のです。

 これは、大きな安心です。「よかったねぇ」と先週に続いて合点がいくことになります。それが今日の最初の福音のポイントです。

3,振り返り 

その安心の言葉を聞いてどうでしょうか?やっと安心して生きれるようになった、と、肩の荷を下ろして良いところだと思います。しかしどうでしょう。そのままでよいのでしょうか?「やれやれよかった」と安心してじっとしていたり、昔と同じ放縦な生活をしていいかというとそうではありません。

 「塩に塩気がなくなると意味がない、捨てられる。光は隠しておいては役に立たない」とキリストは続けられるからです。塩は生き物の生存の必要な貴重なものですし、防腐剤にもなり重宝されました。そんな貴重なものなのだ、という事です。言葉の話に少し戻りますが、ローマ時代に給与はこの貴重な塩で払われ、Salというラテン語から、Salary・給与という言葉が生まれたといわれるほどです。そんな価値のあるものです。「地の塩である」と言われてピンとこなければ、「あなたがいてくれて、よかった!」と人から言われる、そんな存在だ、という風に聞くと心に響くと思いました。

せっかく神に戻って、塩や光のように意味がある存在になったのに、それが味がなくなったり隠れたままなら意味がないといわれました。どうしたらよいでしょうか?

 イエス様はこう続けます。ユダヤ教の律法や教えを捨てて自由に生きてよいという事ではなく、だれよりも確かにそれを守り生きるようにと続くのです。律法や預言者、つまりこれは旧約聖書の教え全体をさしていますが、「これを廃止するためではなくて、完成するために私は来た」と旧約聖書の教えを簡単に捨ててはいけないと説明されるのです。

 もっと完全に厳しく文字通りに律法を守れと言われるのか。生活はがんじがらめで、ますます厳しい信仰や修行のような生活をしなければならないのかと、心配にもなりますね。

そこで、これから読み進んでいくイエス様のお話や出来事の中から、その真意を少し先に考えることにしましょう。

神に立ち返るという事は、旧約聖書の一貫した教えのように、「神を愛し、人を愛して生きていくこと」です。これこそが、人間としての本当の安心であり、意味のある生き方なのだと、いうことです。そうするなら、いさかいや病や貧乏が時にあっても、赦しあい、愛し合い、助け合い、平和に生きていける、本当の神様の願った世界だという事でした。

そしてそれは、今後キリストの働きの中で論争が始まっていきますが、形式的に、歴史的に教えられた「常識」としてのユダヤ教ではなくて、そのそもそもの意味や神様の意図を明確に伝え、そこに戻ることを勧めるキリストの教えや働きが展開されていくことになるのです。そこが今日の福音のポイントの二つ目で、今後の楽しみでもあります。

4,勧め

月曜日に新しい病院へ行き、検査や治療が始まりました。少し調子が悪かったのですが、理由は、去年の健康診断の結果勧められた精密検査や治療を放っておいたからです。今回は調子が悪くなり、いよいよ、観念しました。病院を探し、診察を受けました。実は、こちらも医師を観察しました。その結果、「この人なら任せてみよう」と思いました。コピーして持参した健康診断の結果一式をお渡しし、「先生、これら一式をお任せします。先生のところでカバーできるものは全部、順番に検査や治療をしてください。」と言いました。

じたばたしたり、先送りしていないで、任せてみてよかった。と、肩の荷が下りた気がしました。この人に任せて検査をし、服薬や治療もし、生活も改善しよう、とおもいました。

教会も実は、そういうところでしょう。たくさんの重荷を背負っていないで、ここに来なさい。重荷を下ろしなさい、とキリストは招いているのに、私たちはじたばたしたり、先延ばしにして、状況を悪化させます。そんな人生は一度立ち止まて、洗礼を受けて、神様と一緒に生きる新しい人生を始めましょう。そのとき、「あなたがいてくれて、よかった」と、人からも神様からも言われる存在になるのです。

 

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牧師コラム アーメン! 


今日の聖書個所で、今日の福音のポイントではあまりクローズアップされないので触れませんでしたが、面白い言葉が出てきます。18節のイエス様の言葉です。「はっきり言っておく」です。昔の翻訳では「よくよくあなたがたに言っておく」という役もありました。この「はっきり」や「よくよく」という言葉は、左の画像にあるように、ギリシャ語聖書では「アーメン」なのです。右の画像はギリシャ語聖書のソフトからですが、上から、281はギリシャ語聖書の単語にナンバリングがしてる281番の単語、次は読み方ですが「アーメン」、次の行は18節という行頭の番号と、ギリシャ語で書いた「アーメン」、次の行は英語訳で「Truly」と本当にや真実にという意味、最後の行はヘブライ語の言葉から、という意味です。お祈りの最後で、「アーメン」と言いますね。「そうそう!、私もそう思う!」という相槌のような気持で、いうと心がこもるかもしれません。お祈りしましょう。(アーメン!)


2023年2月3日金曜日

中学生高校生のための教会のイベント案内

 私たち夫婦もかかわって30年前から始まった、春の全国中高生キャンプ、今でも続いています。コロナで数年できなかったけれど、再開とのニュース。

自分の居場所にとどまっていないで、全国の似た境遇の同世代の仲間と、であってみませんか?そして、神様と出会ってみませんか?お勧めします。

お問合せください。





 第30回春の全国teensキャンプ募集要項

3年ぶりに対面での春キャンが帰ってきます!ずっと待ってくれていた人も初めての人も申し込みお待ちしています。みんなに対面で会えるのを楽しみにしてるよ~。

テーマ REUNION(再会)

日程 2023年3月28日(火)14時~30日(木)13時

各教区・地区ごとにまとまって往復するため、交通手段等については申込者へ各教区担当者から追ってご連絡いたします。

会場  千葉市少年自然の家  

〒297-0217 千葉県長生郡長柄町針ヶ谷字中野1591-40

TEL:0475-35-1131

HP:https://www.chiba-shizen.jp/

参加対象者 2001年4月2日~2011年4月1日生まれの方

参加費 15,000円(交通費は各自負担になります)

ただし、きょうだいで参加される方は1人あたり14,000円

3月24日以降のキャンセルについては、参加費の半額を請求させていただきます。

飛行機のチケット等の手配もありますので出来るだけお早目にお申込下さい。

参加費は当日ご持参ください。


申込期限 2023年2月19日(日)


申込方法 こちらのGoogleフォームからお申し込みください

https://forms.gle/yiGCTBUgcP4M5dir8

インターネットからの申し込みができない場合は、下記の問い合わせ先にご連絡ください。

持ち物

聖書、筆記用具、宿泊に必要なもの(衣類、洗面用具、歯ブラシなど)、防寒着(朝晩冷えます)、入浴用品(ボティーソープ・リンスインシャンプーは備え付け有り、ドライヤーの備え付けはありません)、健康保険証、体温計、日数分のマスク、26日の昼食と飲物(移動中に食べます)、参加費とバス代(詳細は申込後の事前案内を参照)


新型コロナウイルス感染対策について

1. 出発前の対応

春キャン開催の1週間前(3月21日)から1日1回の検温をお願いします。

2. 出発時の対応

「参加者」およびその「同居家族等」に感染等の状況がある場合の当該参加者の参加可否は以下の通りとします。

出発時の状況 参加の可否

参加者本人が陽性で療養期間中 不可

参加者本人が濃厚接触者で待機期間中 不可

同居家族等が濃厚接触者で待機期間中

参加者または同居家族等に発熱・風邪症状がある 不可

3. 春キャン開催中の対応

感染が疑われる場合は、別室で待機していただき、保護者にお迎えいただきます。状況により、保健所へ連絡させていただく場合があります。その他の対応は施設の対応に準拠します(詳細は施設ウェブサイトをご確認ください)。

4. 春キャン終了後の対応

春キャン終了後3日間は健康観察を行い、感染が確認された場合は、下記問い合わせ先までご連絡ください。

感染等によって参加できない場合・途中帰宅する場合のキャンセル料、保護者のお迎えの費用は自己負担となります。

問い合わせ先

日本福音ルーテル大江教会 牧師 森田哲史

TEL:096-371-4731

Mail:s-morita@jelc.or.jp

主催 日本福音ルーテル教会 宣教室TNG委員会Teens部門

北海道特別教区、東教区、東海教区、西教区、九州教区


説教メッセージ 20240512

 聖書の言葉  ルカ 24:44~53 と 使徒言行録 1: 1~11 (新213) 1:1-2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。...