2023年10月15日日曜日

説教メッセージ 20231015

 先日用があり東京へ行きました。本籍地のある街の市役所にも生きました。車を停めて脇の入り口から入るとき、懐かしい思いに駆られました。数十年前に結婚式を終えた夜、妻と婚姻届けを出しに来た夜間窓口の脇だったからです。今日の聖書のたとえは、結婚式の出来事です。神の国はこういうものだ、とキリストは言われます。どういうもの?でしょうか。一緒に学びましょう。今日は高蔵寺教会で礼拝担当します。Youtubeでオンライン中継もします(時々日付などを間違えてごめんなさい)。お待ちしています!


マタイ 22: 1~14 (新42)

1イエスは、また、たとえを用いて語られた。 2「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。 3王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。 4そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』 5しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、 6また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。 7そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。 8そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。 9だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 10そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。 11王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。 12王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、 13王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」



説教「突然の招待状」徳弘牧師

1,結婚式のたとえ

先月東京を訪ねたときに懐かしい思いをしました。介護の手続きの関係で戸籍謄本が必要になり、本籍のある西東京市へ行ってきた時のことです。車を停めて市役所に入った入り口は33年前に結婚式当日の夜、婚姻届けを出しに行ったときに入った夜間窓口の脇で、その時のことを懐かしく思い出しました。そして、実は私の姪っ子が先月結婚をし、お祝いやお手紙を送り、昨日電話がかかり挨拶をしたところです。しかし、結婚式の招待状は届きませんでした。コロナ明けでもあるし、結婚式や披露宴はもう少し落ち着いてからということで、私も賛成していたのです。

今日の聖書は、今まで連続したブドウ園の話のたとえ話は終わり、結婚式のたとえになりました。招待された人、集まった人、そこには神様に招かれた私たちの姿を重ねて考える必要があります。一緒に聖書を見ていきましょう。

2,聖書 

今日のたとえも、「天の国は…に似ている」という始まり方で、これは、死後の天国ではなくて、神様との本当の関係がある私たちの生き方のありようをキリストは説明されています。

ブドウ園の出来事ではなく、今日は結婚式です。

王がその子・王子のために祝宴を催したのに、招いておいた人々は来ないのです。そこで、別の家来を送ってすっかり準備ができていますと言わせたのですが、無視して仕事に出かけ、ほかの人々は家来たちに乱暴をし、殺してさえしまったのです。

これは、神様の招きを拒否する人々をたとえています。あらかじめ招いておいた人たちは、ユダヤ教の指導者たちです。一度使者を送りだめだったのでもう一度別の使者を送るというたとえ話が良く出てきますが、これは、イスラエルの歴史の中でのバビロン捕囚の前と後の預言者の出来事を表す定番の言い方だそうです。不信仰で国が亡びると訴えた預言者と、その通りになってしまったバビロン捕囚。しかし時が過ぎて赦され自国に戻ってきてからの預言者の声を彼らが聞いてきたかどうかということを表しています。

今日のたとえでも、ユダヤ民族はそれを聞くことなく、不信仰を続けました。彼らは預言者を殺しさえしたことをキリストはたとえで説明しています。彼らは罰を受け滅ぼされました。

そして、神様の招きは、準備されていた人々ではなく、「街の大通りで見かけた人は誰でも」になり、善人も悪人も集められ、婚宴は人でいっぱいになったというのです。ユダヤ教の「立派な」指導者たちは、宗教的に準備されてきていましたが、キリストを受け入れることができず、多くの「罪びと」がキリストのもとに集まったことを表しているのです。

3,振り返り 

自分のことを振り返りましょう。わたしは、長い間信仰を持ち、正しい生活をしてキリストを待ち望んできたでしょうか?それとも、普通の生き方をしてきていて突然の招待状をもらったように、ふとしたきっかけで神様に出会ったでしょうか?

あるいは、長い間苦労をして生きてきて、自分の信念や自信がありすぎて、キリストの言葉を素直に受け入れられない、いわば婚宴への招待を拒否している人の姿があるかもしれません。拒否した人の中には、畑に行ったり、商売に行くために拒否した人もいます。それらも大切ですが、いざという時の神の呼びかけをないがしろにする姿がそこにあるかもしれません。

では、神の呼びかけに正しく、間違えなく、応えるのには何が必要でしょうか。信仰や努力や献金や人のための功績でしょうか?そうではありません。婚宴に招かれたのは、「街の大通りで見かけた人は誰でも」だからです。神様の呼びかけに、素直に答えることだけ、それが大切なようです。

努力したから救われるのでもなく、信仰が深いから神様に会えるのでもなく、突然の招きを素直に受けるとき、私たちは神様との新しい生き方に招かれているのです。行いによってではなく、素直な信仰によって神様との関係が回復される、それが救いです。

4,勧め 

 では、今までのままの自分でいつまでもいいということでしょうか?そこは少し違います。

救われるためには条件はなく、神様の招きとそれにこたえるだけです。しかし、それで今までの通りの生き方を続けていくのは、ふさわしくありません。

善人も悪人も呼ばれ、婚宴はいっぱいになりましたが、婚宴の服を着ていなかった人がつまみ出されるというのが教のたとえの最後の部分にあります。

これは、教会に招かれ、救われたキリスト者の新しい生き方を表していると考えられます。

今聖書研究会ではエフェソの信徒への手紙を読んでいます。ちょうど先日学んだ5章1-2節にこうありました。「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」そして、そのときも一緒に考えたのは、「キリストを着る」という言葉です。「あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。(ローマ13.14 口語訳)」、「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。(ガラテヤ3.27 新共同訳)」

招かれた後は、今までの生き方を捨てて「キリストを着なさい」と勧められ、洗礼を受けた後は「キリストに結ばれ、キリストを着ている」はずなのです。

それが、神様との本当の関係に立ち戻り、それによって人々も互いに愛し支えあう関係で生きる「天の国」の姿です。死後の世界ではなく、今の出来事です。

生きにくさや、沢山の問題、そして戦争も終えられない社会ですが、神様の招きに応えて安心の日々を着ましょう。そして、愛と平和の世界を広めていきましょう。それが、「神の国」なのです。

 牧師コラム・ 今日の写真 「また、戦争が…」 


   突然の砲撃とがれきの映像に私たちは、驚き、打ちのめされました。それも小競り合いではなく、双方大規模なものでした。パレスチナ自治区ガザを実効支配するハマスによるイスラエル領内への奇襲攻撃と反撃がありました。早速当事者国やいくつかのTVニュースを見てみました。私はヘブライ語、アラビア語中継は時々知っている単語を拾えるくらいで、ほぼ理解できませんが、双方現場レポートや有識者の解説が続きます。国会中継や戦場での戦車の準備映像も映ります。

宗教対立といわれ心が痛いところですが、よく理解しないとなりません。聖書の民、ユダヤ人とパレスチナ人はユダヤ教徒イスラム教がそれぞれ主ですが、宗教的対立というより、西欧諸国の植民地支配と撤退した後の二重外交も大きな要因で土地の奪い合いが火種を残しました。ルーテル教会が加盟するNCC(日本キリスト教協議会)も声明を出し、双方の自制を促しました。それぞれが大切にする旧約聖書の言葉によって。友人のベツレヘムのルーテル教会のパレスチナ人牧師も声明を出しました。ともに祈り、平和を作り出しましょう。

パレスチナとイスラエルの平和を願う声明文

//前半部分省略// 聖書における、イスラエルに、神によって約束されたカナンの地とは、寄留者アブラハムたち、そしてエジプトの地で奴隷という寄留生活を強いられたイスラエルの民に示されたものであることをわたしたちは想起します。同時に、そのような苦難を経た民イスラエルにカナンの地を約束された神は、「あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持ちを知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。」(出エジプト記 23 章 9 節:新共同訳)とも命じているのです。イスラエルとパレスチナ自治政府のたどり着くべき平和への道は、歴史の中でどちらも寄留者としての苦難の道を歩んできた民が、この聖書の指し示す道に立ち帰る以外にはなく、この二つの民の苦難に歴史的に測り知れない責任を負う世界は、政治的利害をこえて、和解と平和への道につながる外交的対話の場を設けるために、国連の仲介を通して全力を尽くすべきです。

わたしたちキリスト者は、そのためにユダヤ教やイスラム教をはじめ、諸宗教の間でこの和解と平和の道の実現のために祈り、また対話を続けることを惜しんではならないのです。

神がノアとの間に立てられた「虹の契約」とはすべてのいのちとの和解と平和のしるしであり、「虹」(ケシェット)とは、戦いを止めた弓の形であることを思い起こしながら、わたしたちはパレスチナとイスラエルの平和を切に祈り続けましょう。 <2023 年 10 月 12 日 日本キリスト教協議会>


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