聖書 ルカ13:31~35 (新136)
13: 31ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」 32イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。 33だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。 34エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 35見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」
説教「自分の道を進むキリスト」 徳弘浩隆牧師
1. 導入
(ア) 今日は四旬節第2主日
① キリストの十字架を思い、悔い改めをする季節が始まりました。
② 昨日の教会学校子どもの礼拝では、この紫色の意味を考えました。
③ これは、「かみさま、ごめんなさい。そしてありがとう」という意味と。
④ そしてイースターの白、ペンテコステの赤、そして成長していく緑に代わっていきます。
(イ) 今日の聖書は、十字架へ向かっていくキリストの覚悟とその姿。
① 私の心に浮かんだ二つの言葉はこれらでした
1. 君子危うきに近づかず
2. Going My Way.わが道を行く
② これらと、イエスキリストの生き方は、何が同じで、何が違うのか
③ それは、今日生きている私に何を呼びかけているのか
④ それを聖書から聞いていきましょう。
2. 聖書
(ア) 先週から四旬節に入り、先週はキリストが悪魔の誘惑を受けてそれらを退けられた話でした
(イ) 今日は、13章までとんで、十字架に向かう覚悟を口にされるところです。
(ウ) ファリサイ派の人たちがイエスのところに来ました。
(エ) ファリサイ派は、聖書のおきて・律法を詳しく学びその通りに生きる厳格な人たちで、そうでない一般の人々を馬鹿にしてさえいるグループでした。
(オ) イエス様に、ここを立ち去ってください、と言います。ヘロデが殺そうとしているからです、とのことです。
(カ) 本当に身の危険を案じているのか、ほかの意図があったのかは意見の分かれるところですが、洗礼者ヨハネを殺すことになったヘロデは、次の人気があるユダヤ教指導者のイエス様を疎んじていたのは確かでしょう。
① それを聞いて、イエス様は、私はそんなことに怖気づかないでこれからも同じように奇跡や癒しをする。そして三日目にすべてを終える、と伝えなさい、と不思議なことを言います。
② そして、危険があっても、私は、今日も明日も自分の道を進む。預言者はエルサレムで死ぬとも。
③ エルサレムのみんなを何度も集めようとしたのに、応じなかったから捨てられる、とも言われました。
(キ) これらは、明らかに、のちに来るイエス様の苦難と十字架の死、そして三日目の復活を予言した言葉だと考えていいでしょう。
(ク) 四旬節第二主日の今日は、そんな、イエス様の覚悟を聞くことになりました。
3. 振り返り
(ア) 私たちはどうでしょうか?
(イ) 君子危うきに近寄らずだから、危険なところからは逃げているでしょうか?危険でも、いやでも、何かに立ち向かっているでしょうか?
(ウ) 危険なことには近づかない知恵も勇気も必要でしょう。
(エ) しかし、一番大切な、自分自身を見つめることから逃げてはいけません。
(オ) 見てみないふりをしたいもの。それは、自分自身の不完全さです。醜さです。心の狭さです。
(カ) ファリサイ派は、聖書の教えに忠実であると努力しているがゆえに、他者を批判し、さげすんでいました。それは、実は聖書の教えとは反対の、愛のない姿でした。
(キ) そんな聖書の教えを振りかざして他者を追い込んで批判することから、イエス様は人々を守りました。そちらの側に立たれました。
(ク) 私はどこに立っているでしょうか?そのことを振り返らねばなりません。
(ケ) この四旬節の40日間、一番近寄りたくない、罪深い自分自身に近づいて、良く見つめ、そんな自分とよく対話をしていきましょう。
(コ) 自分の自己中心や、傲慢さや、愛のなさ、信仰のなさを謙虚に見つめたなら、この紫色を見ながら「神様ごめんなさい」と謙虚に詫びることが大切です。
(サ) その時に、神の本当の許しと新しい命が始まります。
4. 勧め
(ア) そして、わたしは自分の道を進まなければならないと、わが道を行く宣言をされます。ここで、Going My Wayという言葉を思い出します。
(イ) しかし気をつけねばならないのは、私たちが普段考える、「自分の信念に従って、自分だけのことを考えて、人の批判も気にせず、わが道を行く」という姿ではないことです。
(ウ) イエス様のGoing My Wayは、「神の正しさと愛のために、それを信念として、自分を犠牲にしてでも、わが道を行く」のです。そして、その「わが道」は、「神の道」ですし、イエス様こそが、「道であり真理でありいのちである」とご自身で言われるように、神に至る唯一の道なのでした。
(エ) 自分勝手なGoing My Wayではなくて、神の道を行くイエス様のGoing My Wayについていきましょう。
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