2025年1月25日土曜日

説教メッセージ 20250126

少し早いですが、明日の礼拝のメッセージ投稿します。

明日は名古屋にあるルーテル復活教会で礼拝担当ですが、FacebookとYouTubeチャンネルででも中継します。お待ちしています。

https://youtube.com/@pastorhirotakagabrieltokuh983?feature=shared 

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聖書の言葉 

ルカ4:14~21 (新107) 

4:14イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。 15イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。

16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

18「主の霊がわたしの上におられる。

貧しい人に福音を告げ知らせるために、

主がわたしに油を注がれたからである。

主がわたしを遣わされたのは、

捕らわれている人に解放を、

目の見えない人に視力の回復を告げ、

圧迫されている人を自由にし、

19主の恵みの年を告げるためである。」

20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。 21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。


説教「神の言葉の実現」徳弘浩隆牧師

1、 開けばイザヤ書

実は、先週の聖餐式の時にこんなことがありました。いつも、聖卓の聖書を一度丁寧に脇において、聖餐式をして、そのあと開いてもう一度真ん中に戻すという所作をしているのですが、その日はイザヤ書が開きました。よく詩篇くらいが開くのですが、その日はイザヤ書だったので、今日の聖書の個所を思い出しながら、実は一人でニヤリとしてしまいました。

今日の聖書では、イエス様が安息日に会堂に行って、聖書朗読をしようとされると、渡された巻物がイザヤ書だったという話を読んでいたからです。

こんな具合だったのかな?と思って、礼拝を続けたのですが、当時との違いはこうです。

安息日、つまり土曜日の会堂は、私たちは今日曜日に教会で礼拝をしているという事が一つ。そして、今は旧約と新約がそろって聖書ですが、当時は旧約だけが聖書。そして、印刷した分厚い書物ではなくて、巻物だったという事ですね。

東京でも、サンパウロでも、ユダヤ教のシナゴーグに見学に行った時に見せてもらったことがあります。

今日の聖書の話では、何が起こったのでしょうか?

私たちの生き方への呼びかけを聞いていきましょう。

2,聖書 

クリスマス以降学んできた聖書を、少し振り返るとこんな具合です。洗礼を受けられてキリストとしての「公生涯」が始まった。最初の「しるし」はカナの婚礼の出来事で、律法のきよめの石の水がめにイエス様の言われるとおりに水を入れるとワインに変わったということで、律法から福音そして十字架の血をも指し示す出来事でした。

全体の流れからすると、それに続いての出来事が今日の話になります。イエス様は悪魔の誘惑を退け、「”霊”の力に満ちて」ガリラヤに帰ります。次第に、イエス様の評判が周りの地方一帯に広がりました。諸会堂で教え皆から尊敬を受けるようになったようです。

その後、育った故郷のナザレにきました。安息日に、同じように会堂に入ります。聖書を朗読しようとお立ちになり、渡された巻物を開くと、それはイザヤ書で、開いたところにはイザヤによるキリストの預言が書かれてあったのです。それを聞き、人々はイエス様に注目していました。今評判のこの人が、そのイザヤの預言の通りの人なのかと思ったのでしょう。そこで、イエス様は言われます。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」と。人々のキリスト待望の期待と願いを、肯定した形に聞こえます。

3,振り返り 

さてこの言葉は、今日聖書を読んでいる私たちには、どんな意味を持って呼びかけとなっているでしょうか?

ナザレの人々の驚きと期待、そしてそれに対する反応は様々で、実は来週の聖書日課で続いて読むことになっているので、来週に譲ることにして、今日はこの言葉の呼びかけが何を意味し、私たちはどうこたえるか?という事を考えましょう。

今日、その預言が実現したといわれた聖書の個所は、イザヤ書の61章1-2節です。人々の不信仰で国は分裂し、神の裁きとして北も南も他国に侵略支配され国は滅び、異国に連れ去られました。しかしその後、人々の懲らしめは終わり、神に立ち戻り、人々も自国に戻ることができて国を再建する日が来るという神の約束をイザヤが語っているところです。その時、油注がれた王/または救世主が現れ、神の支配が実現するので貧しいものや虐げられているもの、そして病気の物もその解決をるのだと、続きます。「そんな日が来た!」と、「そんな神の言葉が実現したのだ!」というのがちょうどイエス様が読まれた聖書の言葉であり、その時、実現したのです。

そのことを私たち一人ひとりの人生でも、確認することが大切です。「ただ、カレンダーが巡ってきて、クリスマスを迎え、キリストがお生まれになったのだな」、という事だけではなくて、不信仰と懲らしめと、悔い改めと、新しい意味のある人生の回復が、いま、自分にも起こっているのだ、という自分のこととしての理解と、生き方の変革が大切です。それが今日の神からの問いかけと、メッセージです。

さて、それとともに、この呼びかけの中で、「主の恵みの年」という言葉に注目せねばなりません。これは、旧約聖書の規定の中で決められている「ヨベルの年」という事だからです。

一週間では安息日は7日目ですべて休む時。そして、7年が7回過ぎたときには、49年経って翌年の50年目をヨベルの年とすると神は旧約聖書のレビ記で規定しています。この年は、借金が免除され、借金のために奴隷になったものは自由が与えられ、貧しいものが土地を取り戻す機会が与えられる、大恩赦ともいえる年なのです。これは、旧約聖書の時代において、貧富の格差を是正し、社会の公平を保つこととして定められ機能していました。

いまや、キリストが来られて、または、それを自分のこととして受け入れるならば、このヨベルの年のような神の恵みの時が到来したのだ、という事になります。

今の社会や世界は、憎しみの憎悪、貧富の格差の拡大と固定化、移民難民の排除、自分たちがまず大切という風潮が大国でもあり、心痛い日々を過ごしています。

そんな中で、私たちは、わたしは、何をしなければならないでしょうか?これが、今日の私たちへの神様の問いかけという事になります。

4,勧め 

ところで、先週実は私は、教会の近くの年金事務所に行ってきました。急に関係のない話になったかと思われるかもしれません。しかし、「定年退職する」というのはスペイン語やブラジルのポルトガル語では「ヨベルの年を迎えた」という言い方をするので、今日の聖書を読みながら、私もしみじみと「ヨベルの年」を思い返しました。「引退=解放、喜びの節目」という意味合いが、「ヨベルの年という言葉とぴったりだったのかもしれません。

同じ言葉から派生した英語の「ジュビリー」という言葉は、今はただのお祭りとか50周年という事になっています。しかし、本来は「負債の帳消し、奴隷の解放、土地の返還、神の救済、社会の問題のリセット」という意味だという事を思い出しましょう。

そうなると、私たちと神様の関係には、引退はありません。むしろ、「神の救済、社会の問題のリセット」を実現するために、私たち一人ひとりが、この教会を通して神様の働きが始まり、広げられるようになりたいと思います。

今はちょうど教会の年次総会の時期ですが、そんな神の言葉が、社会に対しても実現するよう、教会の働きを整えていけるようになるよう祈りましょう。



牧師コラム ペテロとパウロの日

 カトリックの教会の時代からの伝統では、1月18日がペトロの日、1月25日がパウロの(回心の)日となっています。ルーテル教会の教会手帳にも記入されています。 特に日付への根拠はないようですが、5-6世紀の頃定められていったそうです。

1月18日から25日は「キリスト教一致祈祷週間 (Week of Prayer for Christian Unity)」とされ、1月18日から1月25日までの間にエキュメニカル(教派間の一致を目指す)な祈りが各地域や団体間で行われることも多くあります。

東京の神学校でも、網のフェンス越しに隣接する東京神学大学がありますが、この週間は特にフェンスを行き来して、合同プログラムがあったのも思い出します。

そして、ブラジルにはサンパウロという都市がありますが、1月25日がサンパウロ市では休日になっています。昔、ポルトガルの宣教師たちが上陸し、その地に新しい都市を作るとミサをした日という事です。だからこのパウロの日にちなんで、サン・パウロ(聖パウロ)と名付けられました。今年で471年だそうです。

都市の名前と言えば、もう一方のペトロですね。これは有名どころでは、サンクト・ペテルブルグがありますね、ロシアに。これは、聖・ペテロの街という意味ですね。これはこの街を設立したのがピョートル大帝だったから、その守護聖人の名をとったからというのがいわれだそうです。「ピョートル/Пётр」は実は「ペトロ」のロシア語読みで、誕生日は関係ないけれど、聖ペテロを守護聖人として命名されたということのようですね。そんなことを考えさせられた一週間でした。



都市の名前と言えば、もう一方のペトロですね。これは有名どころでは、サンクト・ペテルブルグがありますね、ロシアに。これは、聖・ペテロの街という意味ですね。これはこの街を設立したのがピョートル大帝だったから、その守護聖人の名をとったからというのがいわれだそうです。「ピョートル/Пётр」は実は「ペトロ」のロシア語読みで、誕生日は関係ないけれど、聖ペテロを守護聖人として命名されたということのようですね。そんなことを考えさせられた一週間でした。


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少し早いですが、明日の礼拝のメッセージ投稿します。 明日は名古屋にあるルーテル復活教会で礼拝担当ですが、Facebookと YouTubeチャンネル ででも中継します。お待ちしています。 https://youtube.com/@pastorhirotakagabrieltoku...