聖書の言葉
イザヤ 60: 1~ 6 (旧1159)
2見よ、闇は地を覆い暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。3国々はあなたを照らす光に向かい
王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。4目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから娘たちは抱かれて、進んで来る。5そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ国々の富はあなたのもとに集まる。6らくだの大群 ミディアンとエファの若いらくだが あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。
マタイ 2: 1~12 (新2)
2:1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
6『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
説教「東の国から西の国へ」 徳弘浩隆牧師
1、 今日までクリスマス…
新しい年を迎えました。今年もよろしくお願いします。
さて街ではクリスマスが終わるとお正月に様変わりして、クリスマスの飾りもとっくに片付けられていますが、教会のカレンダーでは今日までがクリスマスといえます。
キリスト教がヨーロッパに定着した後、冬至のお祭りに合わせてクリスマスが祝われるようになり、12月25日となりました。また、これらの関連で、東方の3人の博士が来たというのは1月6日となっていています。
そういうわけで今日はその、東方の3博士がイエス様を拝みに来たと聖書に残されている出来事を読む日曜日になっています。
クリスマスの劇では、天使とマリアにヨセフ、羊飼いとイエス様のお誕生、そして3人の博士が次々に登場しますが、教会のカレンダーで言うと少し間が空き、3人の博士の登場をもってクリスマスシーズンが一区切りするということになっています。
さて、この3人の博士の出来事は今日の私たちに何を呼びかけているでしょうか?一緒に聞いていきましょう。
2,聖書
博士と言われますが、聖書では占星術の学者たちと訳されています。これはギリシャ語の聖書では「マゴイ」と書かれていて、占星術やゾロアスター教という東の国の宗教の偉い人たちを呼んでいた言葉でもあります。それら異国の宗教家や占星術師と理解され翻訳されています。マゴイは、マジックの語源にもなっています。旧約聖書から預言され待たれていたユダヤの王、メシアの誕生を、不思議なしるしを見つけて異国の宗教家たちも礼拝に来たということになります。
今日のイザヤ書でも預言されていたことが成就したと、マタイは記しているのです。3人の博士とよく言われますが、その人数についてはマタイは触れていないのですが、黄金、没薬、乳香という贈り物を持ってきたということから3人と言われるようになりました。そしてミディアン、エファ、シェバという地名も出ましたが、これらはアラビア半島の北西部からシナイ半島、アラビア半島北部、アラビア半島南部を指し、ラクダに乗ったキャラバンと言われる商業活動をする人々が盛んに行き来していましたし、シェバは昔ソロモン王を訪ねて多くの贈り物をささげたというシェバの女王を思い出させます。乳香や没薬の産地でもありました。
さてこれらの預言とその成就から、キリストはユダヤ教で待たれていた救い主であるということとともに、それを超えて、他宗教や他文化の人々も礼拝に来るような全世界の救い主であるということが今日の大きなメッセージです。ですから、エピファニー・公現祭と言われています。不思議なことに彼らが持ってきた贈り物はそれぞれ、黄金は王様の象徴、乳香は神としての象徴、没薬は人間としての苦しみと死をあらわす象徴というものでもあり、イエスキリストの存在とその地上での生涯をあらわす物でもありました。
3,振り返り
そんな嬉しく、不思議で、深い意味を持ち合わせた出来事でしたが、当のユダヤの人々はどうだったかということも考え、自分の生き方を振り返らねばなりません。
ヘロデ王は不安を抱き、エルサレムの人々も同様だったとあるからです。神様の出来事を喜び、救い主の誕生を一緒に拝みに行くのではなくて、厄介者扱いをし、排除しようとしたのです。
これは、私たちの心にある、善と悪のせめぎあい、神様や他者のことを思う愛と自分の自尊心や思いやり益を思うエゴイズムのせめぎあいでもあるのです。
クリスマスを一緒に祝い、そこに立ち会った私たちですが、これから始まる一年がどうであるかを問いかけています。
「それはそれ、これはこれ」の日常がまた始まるのか、「神様を大切にし、人を愛し共に生きていく」新し生き方が始まるのかです。
東の国からはるばるやってきた3人の博士に対して、当事者の自分はどう生きるかを問いかけています。
4,勧め
さて昨夜は突然インドネシアの牧師から電話があり一時間くらい話しをしました。彼女はインドネシアのドイツ系のルーテル教会の牧師でディアコニアの責任者をしていた方です。要件は、日本にいるインドネシア人のケアや伝道をする可能性を探しているということと、私の周りに外国メンバーがいてその中にインドネシア人の熱心なメンバーもいると聞いたから今後の可能性を話し合いたいということでした。
私も人づてに彼女のことを知り、メールを送ったりしていましたが、なかなか返事が来ませんでした。そこで、彼女の携帯に外国人が良く使うアプリを使ってメッセージを送ると、昨日ようやく返事が来て、電話が来たのでした。残念ながらその姉妹は今月インドネシア日本帰国することになったけれど、たくさんのアジア人が日本で勉強したり働いたりしてくれているので、国籍や言葉を超えて教会はお世話をし、また伝道もしたいと、意気投合しました。イエス様を拝みに来た人たちには、2000年前のクリスマスの当日から、東の国も西の国も違いはないのです。
今日私たちはちょうど、その姉妹・レリアナさんの送別会も予定しています。5年前に出会って、教会で日本語教室を続け、仲間も増え、一緒に信仰生活や教会での奉仕もしてきました。別れは寂しくて残念なことですが、日本の西の国から来てくれて出会ったこの姉妹を、今度は東の国から西の国に送り出す気持ちで、派遣する気持ちで、お送りしたいと思います。神様が新しい計画を持ち、何かを始めようとされているのかもしれません。
私たち一人一人も、神様の不思議な計画で、西や東、北や南、いろんなところでいろんな人と出会い、神様の愛を伝えていきましょう。外国に行くことだけではありません。地域の昔からの人々との出会い、あるいは外国から自分たちのそばに来てくれている人たちとの出会いもあるかもしれません。
そんな教会の働きに今年も一緒に参加しましょう。新しい人と出会わせてくれて、神を愛し、人を愛し、安心と平和の生活を広めていきましょう。
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