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2025年1月5日日曜日

礼拝メッセージ 20250105

聖書の言葉 

イザヤ 60: 1~ 6 (旧1159)

2見よ、闇は地を覆い暗黒が国々を包んでいる。

しかし、あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。3国々はあなたを照らす光に向かい 

王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。4目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから娘たちは抱かれて、進んで来る。5そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ国々の富はあなたのもとに集まる。6らくだの大群 ミディアンとエファの若いらくだが あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

マタイ 2: 1~12 (新2)

2:1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

6『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。



説教「東の国から西の国へ」 徳弘浩隆牧師

1、 今日までクリスマス…

新しい年を迎えました。今年もよろしくお願いします。

さて街ではクリスマスが終わるとお正月に様変わりして、クリスマスの飾りもとっくに片付けられていますが、教会のカレンダーでは今日までがクリスマスといえます。

キリスト教がヨーロッパに定着した後、冬至のお祭りに合わせてクリスマスが祝われるようになり、12月25日となりました。また、これらの関連で、東方の3人の博士が来たというのは1月6日となっていています。

そういうわけで今日はその、東方の3博士がイエス様を拝みに来たと聖書に残されている出来事を読む日曜日になっています。

クリスマスの劇では、天使とマリアにヨセフ、羊飼いとイエス様のお誕生、そして3人の博士が次々に登場しますが、教会のカレンダーで言うと少し間が空き、3人の博士の登場をもってクリスマスシーズンが一区切りするということになっています。

さて、この3人の博士の出来事は今日の私たちに何を呼びかけているでしょうか?一緒に聞いていきましょう。


2,聖書 

博士と言われますが、聖書では占星術の学者たちと訳されています。これはギリシャ語の聖書では「マゴイ」と書かれていて、占星術やゾロアスター教という東の国の宗教の偉い人たちを呼んでいた言葉でもあります。それら異国の宗教家や占星術師と理解され翻訳されています。マゴイは、マジックの語源にもなっています。旧約聖書から預言され待たれていたユダヤの王、メシアの誕生を、不思議なしるしを見つけて異国の宗教家たちも礼拝に来たということになります。

今日のイザヤ書でも預言されていたことが成就したと、マタイは記しているのです。3人の博士とよく言われますが、その人数についてはマタイは触れていないのですが、黄金、没薬、乳香という贈り物を持ってきたということから3人と言われるようになりました。そしてミディアン、エファ、シェバという地名も出ましたが、これらはアラビア半島の北西部からシナイ半島、アラビア半島北部、アラビア半島南部を指し、ラクダに乗ったキャラバンと言われる商業活動をする人々が盛んに行き来していましたし、シェバは昔ソロモン王を訪ねて多くの贈り物をささげたというシェバの女王を思い出させます。乳香や没薬の産地でもありました。

さてこれらの預言とその成就から、キリストはユダヤ教で待たれていた救い主であるということとともに、それを超えて、他宗教や他文化の人々も礼拝に来るような全世界の救い主であるということが今日の大きなメッセージです。ですから、エピファニー・公現祭と言われています。不思議なことに彼らが持ってきた贈り物はそれぞれ、黄金は王様の象徴、乳香は神としての象徴、没薬は人間としての苦しみと死をあらわす象徴というものでもあり、イエスキリストの存在とその地上での生涯をあらわす物でもありました。


3,振り返り 

そんな嬉しく、不思議で、深い意味を持ち合わせた出来事でしたが、当のユダヤの人々はどうだったかということも考え、自分の生き方を振り返らねばなりません。

ヘロデ王は不安を抱き、エルサレムの人々も同様だったとあるからです。神様の出来事を喜び、救い主の誕生を一緒に拝みに行くのではなくて、厄介者扱いをし、排除しようとしたのです。

これは、私たちの心にある、善と悪のせめぎあい、神様や他者のことを思う愛と自分の自尊心や思いやり益を思うエゴイズムのせめぎあいでもあるのです。

クリスマスを一緒に祝い、そこに立ち会った私たちですが、これから始まる一年がどうであるかを問いかけています。

「それはそれ、これはこれ」の日常がまた始まるのか、「神様を大切にし、人を愛し共に生きていく」新し生き方が始まるのかです。

東の国からはるばるやってきた3人の博士に対して、当事者の自分はどう生きるかを問いかけています。


4,勧め 

さて昨夜は突然インドネシアの牧師から電話があり一時間くらい話しをしました。彼女はインドネシアのドイツ系のルーテル教会の牧師でディアコニアの責任者をしていた方です。要件は、日本にいるインドネシア人のケアや伝道をする可能性を探しているということと、私の周りに外国メンバーがいてその中にインドネシア人の熱心なメンバーもいると聞いたから今後の可能性を話し合いたいということでした。

私も人づてに彼女のことを知り、メールを送ったりしていましたが、なかなか返事が来ませんでした。そこで、彼女の携帯に外国人が良く使うアプリを使ってメッセージを送ると、昨日ようやく返事が来て、電話が来たのでした。残念ながらその姉妹は今月インドネシア日本帰国することになったけれど、たくさんのアジア人が日本で勉強したり働いたりしてくれているので、国籍や言葉を超えて教会はお世話をし、また伝道もしたいと、意気投合しました。イエス様を拝みに来た人たちには、2000年前のクリスマスの当日から、東の国も西の国も違いはないのです。

今日私たちはちょうど、その姉妹・レリアナさんの送別会も予定しています。5年前に出会って、教会で日本語教室を続け、仲間も増え、一緒に信仰生活や教会での奉仕もしてきました。別れは寂しくて残念なことですが、日本の西の国から来てくれて出会ったこの姉妹を、今度は東の国から西の国に送り出す気持ちで、派遣する気持ちで、お送りしたいと思います。神様が新しい計画を持ち、何かを始めようとされているのかもしれません。

私たち一人一人も、神様の不思議な計画で、西や東、北や南、いろんなところでいろんな人と出会い、神様の愛を伝えていきましょう。外国に行くことだけではありません。地域の昔からの人々との出会い、あるいは外国から自分たちのそばに来てくれている人たちとの出会いもあるかもしれません。

そんな教会の働きに今年も一緒に参加しましょう。新しい人と出会わせてくれて、神を愛し、人を愛し、安心と平和の生活を広めていきましょう。


2024年12月17日火曜日

クリスマスのご案内

 今年のクリスマス行事は以下の通りです♪

★クリスマス礼拝:12/22(日)10.30-

★クリスマスイブ礼拝:12/24(火)16.00-

クリスマスイブ礼拝は16時からですので、お間違いありませんようにお待ちしています♪




2024年12月15日日曜日

説教メッセージ 20241215

今週の聖書の言葉 

フィリピ4: 4~ 7 (新366)

4: 4主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。 5あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。 6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。


ルカ3: 7~18 (新105)

3: 7そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 8悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 9斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」 10そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。 11ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。 12徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。 13ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。 14兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

15民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。 16そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 17そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 18ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。



説教「キリスト誕生を待つ、希望を待つ」

徳弘浩隆牧師

1、 カイロスの延期…

アドベントの第3主日になりました。待ちに待ったクリスマスも近づいてきます。

そんな折、昨日のニュースを聞いてニヤリとさせられた出来事がありました。皆さんもご存じだと思います。待ちに待っていた、ロケットの打ち上げが延期になったというニュースです。朝早くから打ち上げ場に行って、楽しみに待っていた人たちからは、「あー、残念」と、ため息が聞かれました。記者会見を開いて開発しているスペースワンという会社の役員は「楽しみにして頂いていた沢山の人々に対して申し訳ない」と謝罪しました。

「だけど牧師はそんなニュースをなぜ今日の聖書と関係があるというのか?」と思われるでしょう。それは、このロケットの名前にあるのです。このロケットの名前は「カイロス」。会社によると二つの意味が込められています。一つは、Kii(キイ)-(-)based(ベースド) Advanced(アドバンスド) &(アンド) Instant(インスタント) Rocket(ロケット) System(システム)の略でKAIROS(カイロス)ということ。つまり、「和歌山県の紀伊半島を指していて、紀伊に拠点を持つ会社の、先進的で迅速な打ち上げが可能な固体燃料ロケットのシステム」の英語の略号がKAIROSとなったという事。紀伊半島というのは意外でした。

さて、もう一つこの言葉に込めた意味というのが、私に言わせれば聖書とも関係があるのです。新約聖書のギリシャ語では、「時」というのを表す言葉が二つあり、それらは「クロノス」と「カイロス」です。

クロノスはクロノグラフという言葉のもとでもあり、それはストップウォッチのことでもあります。このように、「クロノス」は線的な時間や、連続的な時間を表します。過去から現在、そして未来へと流れる測定可能な時間を指します。しかし、「カイロス」は質的な時間を指し、何か重要な出来事が起きる「瞬間」や「好機」を意味します。これは、時間の「量」ではなく「質」を表す言葉です。例えば、適切なタイミング、人生を変えるような瞬間を意味しています。

ロケット打ち上げはクロノスの予定時間だったけど、「好機・良いタイミング」としてのカイロスではなかったといえるでしょう。その所で、ニヤリとさせられたのです。

そして、先日から聖書で学んでいるように、オートマチックでクリスマスはカレンダー通りやってくるけれども、本当にキリストをもう一度心にお迎えする「クロノス」、つまり重要な出来事が起こる瞬間やチャンスは、人それぞれ違うのだということにつながるからです。

ロケットは天候を見て、また今日打ち上げをして礼拝のころ成功しているかもしれません。しかし、私たちが、本当の意味でキリストをお迎えするには、どうしたらよいのでしょうか?今日の聖書から見ていきましょう。



2,聖書 

ルカの福音書は先週読んだところのすぐあと、続きです。預言者が言っていたように、荒れ野で叫ぶ声がして、それは、洗礼者ヨハネでした。彼は、「もういくつ寝るとお正月」のように、時が来れば自動的にキリストが来るということを言っているのではありませんでした。集まる群衆に「悔い改めにふさわしい実を結べ」と厳しく迫ったのです。キリストの登場を待ち望んでいた人々は、このヨハネがそうかと期待しましたが、ヨハネはあっさりと否定します。そして「私の後から来る方がそれで、私にはその方の履物のひもを解く値打ちもない」といいます。

そして今日は、第二の朗読で読まれた、フィリピの信徒への手紙からも聞きましょう。これは、使徒パウロがとらえられているときに獄中から自分が伝道して設立した異邦人たちの教会に充てて書いた手紙です。ギリシャのフィリピの町の教会でした。何がポイントかというと二つ。一つは、「主においていつも喜び、思い煩わず、感謝の祈りと共に神に打ち明けなさい。キリストは近いのだ」ということ。身の回りに困難があっても、キリストの再臨が近いと、その来臨を待っていたからです。そしてもう一つは、その困難の理由が大切です。異邦人社会での異邦人のキリスト教会はたくさんの迫害もあったでしょうが、この手紙の直前でパウロが問題にしているのは、「教会内の対立や不和」なのです。それぞれ一生懸命助け支えてくれた有力な信徒が、仲たがいをしていると聞き、心を痛め、指導をするためにも、パウロはこの手紙を書きました。

洗礼者ヨハネは、キリストを迎える条件として、ただ時がたてばその日が来るのではなく、「悔い改め」と「それにふさわしい実を結べ」、つまりその行いや生き方を求めています。

時がたってパウロは再臨のキリストの近いことを強調しながらかつて自分がお世話をした教会員に勧めているのは、「キリスト教会の中でも、意見や立場の違いを乗り越えて、和解をして祈りと力を合わせていくこと」だったのです。


3,振り返り 

私は、そして、私たちの教会は、そして今の社会・世界は、どのように生きているでしょうか?

クリスマスシーズンというクロノスとしての「時」はもう目の前です。しかし、「悔い改め」とそれにふさわしい「行いや生活」は十分でしょうか?一生懸命教会生活をし、教会を支えもするけれども、立場や意見の違いを乗り越えて和解とキリストにある平和が実現しているでしょうか?これらが実現して、本当の意味でキリストを迎えることができる「時」が、クロノスではなくてカイロスなのです。

Aiに聞くと、こんな説明もあります。

キリスト教では、「クロノス」と「カイロス」の違いを以下のように考えることができます。「クロノス」は、私たちが生きる日常的で測定可能な時間です。「カイロス」は、神が特別な働きをされる「恵みの時」や「救いの時」であり、私たちがそのタイミングを捉えるように求められます。

実生活への適用としては、キリスト教徒は、日々の「クロノス」の中で「カイロス」を見つけるように呼びかけられます。つまり、単なる時間の流れに流されるのではなく、神が与える意味のある瞬間や機会をしっかりと捉え、応答することが求められるのです。



4,勧め 

指折り数えてクリスマスを待つのをやめて、その手の指を組んで祈り、悔い改めと感謝、そして生き方を変える時に、本当の意味でキリストを迎えることができそうですね。

神様は、私たち一人一人に、そして教会や社会にも、苦しい難しい問題を与えられますが、それを通して悔い改め、生まれ変われるように、準備をしてくださっているともいえるでしょう。そんな時、迫害や困難があっても「絶えず喜んで」いることができる、そんなパウロのこの時に心境を味わい、生きることができるでしょう。そういう意味では、安心して困難や迫害も受け、神様を見上げましょう。良いクリスマスが迎えられますように。


聖書の学び会・新シリーズ開始します。

 ここ数年、ルカによる福音書でキリストのご生涯、使徒言行録でその続きの教会誕生とその後、エフェソの信徒への手紙で異邦人(非ユダヤ人)の教会の混乱やそこへの勧め、コリントの信徒への手紙で教会内の分派や争いへの戒めや勧めを学びました。 その後、昨年はローマの信徒への手紙で信仰による救...