2024年5月9日木曜日

説教メッセージ 20240505

 聖書の言葉 ヨハネ 15: 9~17 (新198)

15:9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。 12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 13友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 14わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 15もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」


説教「友のためになにができるか?」  徳弘浩隆牧師

1、クリスチャンという言葉

私たちは自分たちのことを、「クリスチャン」と呼ぶことがありますが、そもそもどういう意味でしょうか?

いくつかの説がありますが、一般的に考えられていることはこうです。聖書の中では使徒言行録11章の25-26節に「それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」と初めて登場します。ユダヤ人中心のエルサレム教会に対して、北部のアンティオキアは非ユダヤ人非ユダヤ教出身のいわゆる異邦人の教会でした。そこで、「キリスト者と呼ばれるようになった」と訳されているのは、ギリシャ語聖書では「Χριστιανούς(クリスティアノス)」、ラテン語聖書では「christiani(クリスチアーニ)」となっていて、英語のクリスチャンになっていきました。そのもともとの意味は、「キリストの奴隷」「キリスト党員」「小さなキリスト」などの意味があり、やや揶揄された呼び方だったという説もあります。ちなみに16世紀の日本ではクリスチャンは「耶蘇(やそ)」、神父さんは「バテレン」と呼ばれますが、これはポルトガルやスペインの宣教師が紹介した「イエス」が「耶蘇」と書かれ、神父を意味する「Padre(パードレ)が伴天連(バテレン)と漢字で書かれたのがもとで、人々からやはり揶揄されるように呼ばれました。

聖書の中ではこのように、「キリストの奴隷」ともいえる呼び方ですし、パウロも自分のことを「奴隷」という言葉を使って書いているところもありますが、一般的に「キリストのしもべ」と訳されています。

さてしかし、今日の聖書はキリストは私たちのことを、奴隷でも、僕(しもべ)でもない、「友」と呼んでくれています。私たちとキリストとの関係を聖書から学んでいきましょう。

2,聖書 

今日の聖書日課は、先週と同じで、ヨハネの福音書の中の13章から16章までの、いわゆる「決別説教」「告別説教」と言われる長いお話の中からです。最後の晩餐があり、弟子の足を洗い、新しい掟の話をし、羊やブドウのたとえ話があり、今日は「友」という言葉が一つのキーワードでしょう。

神がキリストを愛されたように、キリストも弟子たちを愛してきた、と言われます。そして、その愛にとどまっていなさいと。それは、キリストが言われる掟を守るなら、愛にとどまっていることになるのだと、続けられました。

そして、その大切な掟、命令は、「キリストが弟子たちを愛したように、弟子たちも互いに愛し合いなさい」という事でした。そして、僕は主人が何をしているかわからないでいるが、弟子たちはもうわかっているので、僕ではなくて、「友と呼ぶ」という話になっていきました。

奴隷は主人の所有物であり、言われるままの仕事や生き方をしなければなりません。奴隷は主人の考えを知る由もなく、ただ従うという事でした。しかし、いまや、キリストと弟子たちは、「主人と奴隷」ではなく、その考えがすべてわかり、それを行う事になるので、「友と友」という関係になるのだというのです。

その「友である」ということのカギが、「互いに愛し合うべき」という事でした。

3,振り返り 

キリストは弟子たちのことを、「友」と呼ばれました。私たちクリスチャンも、クリスチャンという言葉はもともと「キリストの奴隷」ともいう意味でしたが「友」とされています。でも、その「友」である根拠は、キリストの愛にとどまっていること、そして、互いに愛し合う事、それが必須でした。

私たちにできているでしょうか?讃美歌でも、「慈しみ深き、友なるイェスは」という歌もあります。やさしくしてくださるイエス様のことを思い、この讃美歌が好きだという方も多いでしょう。

イエス様は私たちのことを「友」と呼んでくれたけれど、罪深い自分にその価値があるのかと、それほどの愛で他者を愛しているかと問われると、私はまだキリストの友とはなれていない自分を見つけざるを得ません。

どうしたらよいでしょうか?矛盾や不安や不満がたくさんある社会です。人がゆるせない、自分も赦せない。人を愛せない、自分も愛せない。そんなときもあるかもしれません。間違いや不正をそのまま許すこと、是認することを聖書は求めていません。罪を認め、悔い改めてキリストを信じる者の罪をゆるすと、礼拝でも罪の告白とゆるしの宣言でも説明しています。しかし、それでも自分は他者を許せない愛せないことがあるかもしれません。どうしたらよいのでしょうか?

4,勧め 

それは今日のキリストの言葉に答えがあります。努力して努力して、やっと、キリストの友とされるところに到達するのではありません。キリストが神の知恵・み言葉を教えてくれ、友と呼んでくれ、その友のために命さえを投げ出してくれたこと、それほどの大きな愛が神の愛だと、教えてくれたのです。「友のために命を捨てること、それほど大きな愛はない」とキリストがこれから向かう十字架の道を見据えながら、本当の神の愛の在り方を教えられたのでした。

その出来事を、感謝して受け入れることです。そして、自分も少しずつ、そのような愛で生きることを促されています。キリストの奴隷ともいえるクリスチャンであるわけですが、それはすべてこの方に従って生きていくという、信仰告白的な意味では「奴隷」でもよいでしょう。しかし、いつまでも「奴隷」ではなくて、キリストによる神の知恵とみ言葉を知り、そうされたように自分も人を赦し愛する生き方をするときに、本当の「友」と呼ばれるにふさわしくなります。それを、キリストは願い、自分を投げ出し、招いておられるのです。自分も傷つきながら、痛みを覚えながら、他者を赦し、そのために生きる、それが、キリスト者の生き方です。そんな生き方を格闘しながらでも、したいと思わされます。安心して、一緒に生きていきましょう。教会の仲間は、そんな生き方を、失敗もしながら生きている仲間、兄弟姉妹、家族なのです。

 

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牧師コラム・  久々の出会い、新しい出会い

  4月29日は「わいわいワーク」に行ってきました。天候も適度な「くもりに恵まれ」、暑すぎず、雨でもなく、話題の「パンダ羊」にも会えました。

  私は草刈り機持参で草刈りをしましたが、格闘の相手は地面の雑草ではなくて、フェンスに絡まる蔦でした。こういう時いつも思い出す歌は、「蔦の~絡まるチャペルで、祈りをさ~さげた日~♪」という歌。素敵な情景を思い出す歌ですが、私は穏やかな気持ちではありません。教会の草刈りや掃除をするときにいつも思うのはこうです。「蔦の絡まるチャペルは教会の素敵なイメージで良いけど、牧師や教会員は大変なんだよぉ」と。今回もそう思いながら、一緒に作業をする他教会の方とおしゃべり。「すごいですねぇ。ここまでフェンスに絡まって、しっかりとしがみ付いますねぇ」。しかし、「そういえば、昨日の聖書も、ブドウの木につながっていなさいというブドウの枝の話でしたねぇ」と、聖書に話が弾み、考えさせられました。一生懸命にしがみ付く努力そのものはキリストは求めておられないかもしれないけれど、このくらいガッシリと(フェンスにではなく)キリストにつながっていたいものだと思わされたのです。

  私の担当教会の愛知県二教会から牧師夫妻を入れて10名、そして浜名教会からは福祉会職員の方も参加しておられたし、他教会の多くの方々と交流もできました。私と一緒に参加した方々には、ブラジルで開拓伝道もし、ご高齢者の健康体操普及プロジェクトを30年前に始めて大きな組織に育て上げた聖公会の女性執事(終身補助司祭のような方)とベトナム、ブラジル、スリランカの外国メンバーも一緒でした。スリランカ・メンバーは今年教会に来始めてくれた新人さんですが、だいぶ日本語も上手になり、打ち解けて、一緒に頑張り、喜んでくれていました。帰りにはこひつじ診療所の通訳さんのブラジル野菜農園も訪ね、マンジョッカ(タロイモ)の話や各国での呼び方や食べ方の違いでも盛り上がりました。言葉や国籍を超えてみんなで笑い、天国を垣間見た気がしました。 早朝から夜の帰宅まで、体力は使いましたが、教会も言葉も、教派も超えたメンバーの出会いと再会で、うれしく楽しい日でした。キリストから託された大切な私たちの働きとこの輪を、一緒に広げてゆきたいと思います。

 5/25には、「グリーンズ・フェア」もあります!




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 今年のクリスマス行事は以下の通りです♪ ★クリスマス礼拝:12/22(日)10.30- ★クリスマスイブ礼拝:12/24(火)16.00- クリスマスイブ礼拝は16時からですので、お間違いありませんようにお待ちしています♪