今年のクリスマス行事は以下の通りです♪
★クリスマス礼拝:12/22(日)10.30-
★クリスマスイブ礼拝:12/24(火)16.00-
クリスマスイブ礼拝は16時からですので、お間違いありませんようにお待ちしています♪
ルーテル高蔵寺教会は、世界に広がる伝統的なプロテスタント・キリスト教会のひとつ日本福音ルーテル教会に属する教会です。地域や外国人も開かれた教会、誰でも来ていただくことができます。Pastor TOKUHIRO offers Japanese class or assistance for foreigners. Ask anything you need!
今年のクリスマス行事は以下の通りです♪
★クリスマス礼拝:12/22(日)10.30-
★クリスマスイブ礼拝:12/24(火)16.00-
クリスマスイブ礼拝は16時からですので、お間違いありませんようにお待ちしています♪
今週の聖書の言葉
フィリピ4: 4~ 7 (新366)
4: 4主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。 5あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。 6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
ルカ3: 7~18 (新105)
3: 7そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 8悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 9斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」 10そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。 11ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。 12徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。 13ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。 14兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
15民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。 16そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 17そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 18ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
説教「キリスト誕生を待つ、希望を待つ」
徳弘浩隆牧師
1、 カイロスの延期…
アドベントの第3主日になりました。待ちに待ったクリスマスも近づいてきます。
そんな折、昨日のニュースを聞いてニヤリとさせられた出来事がありました。皆さんもご存じだと思います。待ちに待っていた、ロケットの打ち上げが延期になったというニュースです。朝早くから打ち上げ場に行って、楽しみに待っていた人たちからは、「あー、残念」と、ため息が聞かれました。記者会見を開いて開発しているスペースワンという会社の役員は「楽しみにして頂いていた沢山の人々に対して申し訳ない」と謝罪しました。
「だけど牧師はそんなニュースをなぜ今日の聖書と関係があるというのか?」と思われるでしょう。それは、このロケットの名前にあるのです。このロケットの名前は「カイロス」。会社によると二つの意味が込められています。一つは、Kii(キイ)-(-)based(ベースド) Advanced(アドバンスド) &(アンド) Instant(インスタント) Rocket(ロケット) System(システム)の略でKAIROS(カイロス)ということ。つまり、「和歌山県の紀伊半島を指していて、紀伊に拠点を持つ会社の、先進的で迅速な打ち上げが可能な固体燃料ロケットのシステム」の英語の略号がKAIROSとなったという事。紀伊半島というのは意外でした。
さて、もう一つこの言葉に込めた意味というのが、私に言わせれば聖書とも関係があるのです。新約聖書のギリシャ語では、「時」というのを表す言葉が二つあり、それらは「クロノス」と「カイロス」です。
クロノスはクロノグラフという言葉のもとでもあり、それはストップウォッチのことでもあります。このように、「クロノス」は線的な時間や、連続的な時間を表します。過去から現在、そして未来へと流れる測定可能な時間を指します。しかし、「カイロス」は質的な時間を指し、何か重要な出来事が起きる「瞬間」や「好機」を意味します。これは、時間の「量」ではなく「質」を表す言葉です。例えば、適切なタイミング、人生を変えるような瞬間を意味しています。
ロケット打ち上げはクロノスの予定時間だったけど、「好機・良いタイミング」としてのカイロスではなかったといえるでしょう。その所で、ニヤリとさせられたのです。
そして、先日から聖書で学んでいるように、オートマチックでクリスマスはカレンダー通りやってくるけれども、本当にキリストをもう一度心にお迎えする「クロノス」、つまり重要な出来事が起こる瞬間やチャンスは、人それぞれ違うのだということにつながるからです。
ロケットは天候を見て、また今日打ち上げをして礼拝のころ成功しているかもしれません。しかし、私たちが、本当の意味でキリストをお迎えするには、どうしたらよいのでしょうか?今日の聖書から見ていきましょう。
2,聖書
ルカの福音書は先週読んだところのすぐあと、続きです。預言者が言っていたように、荒れ野で叫ぶ声がして、それは、洗礼者ヨハネでした。彼は、「もういくつ寝るとお正月」のように、時が来れば自動的にキリストが来るということを言っているのではありませんでした。集まる群衆に「悔い改めにふさわしい実を結べ」と厳しく迫ったのです。キリストの登場を待ち望んでいた人々は、このヨハネがそうかと期待しましたが、ヨハネはあっさりと否定します。そして「私の後から来る方がそれで、私にはその方の履物のひもを解く値打ちもない」といいます。
そして今日は、第二の朗読で読まれた、フィリピの信徒への手紙からも聞きましょう。これは、使徒パウロがとらえられているときに獄中から自分が伝道して設立した異邦人たちの教会に充てて書いた手紙です。ギリシャのフィリピの町の教会でした。何がポイントかというと二つ。一つは、「主においていつも喜び、思い煩わず、感謝の祈りと共に神に打ち明けなさい。キリストは近いのだ」ということ。身の回りに困難があっても、キリストの再臨が近いと、その来臨を待っていたからです。そしてもう一つは、その困難の理由が大切です。異邦人社会での異邦人のキリスト教会はたくさんの迫害もあったでしょうが、この手紙の直前でパウロが問題にしているのは、「教会内の対立や不和」なのです。それぞれ一生懸命助け支えてくれた有力な信徒が、仲たがいをしていると聞き、心を痛め、指導をするためにも、パウロはこの手紙を書きました。
洗礼者ヨハネは、キリストを迎える条件として、ただ時がたてばその日が来るのではなく、「悔い改め」と「それにふさわしい実を結べ」、つまりその行いや生き方を求めています。
時がたってパウロは再臨のキリストの近いことを強調しながらかつて自分がお世話をした教会員に勧めているのは、「キリスト教会の中でも、意見や立場の違いを乗り越えて、和解をして祈りと力を合わせていくこと」だったのです。
3,振り返り
私は、そして、私たちの教会は、そして今の社会・世界は、どのように生きているでしょうか?
クリスマスシーズンというクロノスとしての「時」はもう目の前です。しかし、「悔い改め」とそれにふさわしい「行いや生活」は十分でしょうか?一生懸命教会生活をし、教会を支えもするけれども、立場や意見の違いを乗り越えて和解とキリストにある平和が実現しているでしょうか?これらが実現して、本当の意味でキリストを迎えることができる「時」が、クロノスではなくてカイロスなのです。
Aiに聞くと、こんな説明もあります。
キリスト教では、「クロノス」と「カイロス」の違いを以下のように考えることができます。「クロノス」は、私たちが生きる日常的で測定可能な時間です。「カイロス」は、神が特別な働きをされる「恵みの時」や「救いの時」であり、私たちがそのタイミングを捉えるように求められます。
実生活への適用としては、キリスト教徒は、日々の「クロノス」の中で「カイロス」を見つけるように呼びかけられます。つまり、単なる時間の流れに流されるのではなく、神が与える意味のある瞬間や機会をしっかりと捉え、応答することが求められるのです。
4,勧め
指折り数えてクリスマスを待つのをやめて、その手の指を組んで祈り、悔い改めと感謝、そして生き方を変える時に、本当の意味でキリストを迎えることができそうですね。
神様は、私たち一人一人に、そして教会や社会にも、苦しい難しい問題を与えられますが、それを通して悔い改め、生まれ変われるように、準備をしてくださっているともいえるでしょう。そんな時、迫害や困難があっても「絶えず喜んで」いることができる、そんなパウロのこの時に心境を味わい、生きることができるでしょう。そういう意味では、安心して困難や迫害も受け、神様を見上げましょう。良いクリスマスが迎えられますように。
季節の変わり目、最近分かりにくくなりましたね。心も体も準備も追いつかず、風邪をひいてしまいました。ようやく治りかけと思いましたがぶり返し?のようにもなり、これは2周目?という状態です。時代の変わり目、そして世の終わり?そんなものを見極めるには、どうしたらいいでしょうか?聖書は「世の終わり」についてキリストが語るところです。興味本位に間違えないように、神の呼びかけを聞き取りましょう。今日は、名古屋の復活教会で礼拝担当します。高蔵寺教会では信徒の方が代読して下さり、皆で礼拝をいたします。Youtubeでも礼拝中継をいたします。お待ちしています!
聖書の言葉 1マルコ13: 1~ 8 (新88)
13:1イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」 2イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
3イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。 4「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」 5イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 6わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。 7戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 8民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。
説教「終わりは 何かの始まり」徳弘浩隆牧師
1、 猛烈残暑も終わり…
「暑い暑いといっていたけれど、ずいぶん肌寒くなりましたねぇ」という季節の挨拶が普通でしたけれど、ここ数年はそういう訳でもありません。猛烈な残暑が続いていましたが、急に寒くなり、そしてまた夏日という具合で、心も体も準備ができていない気温の変化が、ある意味普通になってきました。忙しい毎日で衣替えも間に合わず、何を着ようかと迷う事もあります。そして、私は風邪をひいてしまいました。
こんな季節感が怪しくなってきた、地球温暖化と激しい気候変動の時代と同様、世の中の移り変わりも激しく、何がいつ起こるか予測しにくくなっているといえるかもしれません。「もう、世の終わりだ」と従来の地球環境の終わりや、いわゆる「終末」の話を持ち出して、本当に世の中の終わりを主張する人や宗教も多くなります。
そんな中、今日の聖書の言葉も、「世の終わり」という言葉が出てきます。世の混乱や偽キリスト、戦争の噂、そして地震や飢饉についてもキリストは話されました。
これは、なにか隠れた意味のある恐ろしい「予言」なのでしょうか? 一緒に聖書から聞いていきましょう。
2,聖書
聖書は先週の続きです。少し復習のつもりで振り返りましょう。11章でイエス様一行が意を決してエルサレムに入って行かれます。大歓迎を受けます。その後、神殿で商人を追い出します。神の家を商売の家にしてはならないというのです。その大騒ぎの後、キリストは、エルサレムのいろいろな権力者たちと対峙することになります。祭司長、律法学者、長老たち、そしてサドカイ派やファリサイ派という宗教的にも、政治的にも権威がある人たちから、問答を持ち掛けられます。その流れの中で、先週の聖書の個所、やもめの献金になっていきました。大勢のお金持ちがたくさんの献金をするのと対照的に、貧しくつつましく生きている一人の女性が、神殿の賽銭箱に、周りの目も気にせず、「はした金」とも言える一番小さな硬貨を入れている姿でした。キリストは、「彼女は誰よりもたくさん入れたのだ」と称賛しました。神様にすべてをゆだねている生き方をほめたのでした。
そんなことの後、「神殿の境内を出て行かれる時」に今日の聖書の出来事が起こりました。
立派な建物を見て弟子の一人が言いました。「とってもきれいな石の建物ですねぇ!」と。しかしイエス様の応えは驚くような言葉でした。「これらの大きな建物か。これらは全て崩れてしまうだろう」と。そっけない、そして不吉な言葉でした。
それに続いて、いったん神殿から出たのでしょう。今度はエルサレムの城壁の外のオリーブ山から神殿の方を向いて座っているときに、4人の弟子たちは心配になったのでしょう、イエス様に思い切ってひそかに尋ねます。「そんなことはいつ起こるんですか?その時にはどんな兆しがあるんですか?」と。それに対して「偽キリストがたくさん現れ惑わし、戦争の噂を聞くがまだ終わりではない。戦争や地震、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりなのだ」と言われます。いわゆる、終末の預言と言われているいくつかの話の始まりです。
その後、イエス様は捕えられて十字架にかけられていきますが、一年の最後の週が近づく今、その言葉を毎年読むという事になっています。
3,振り返り
さて、私たちは、この聖書を読んで何を学ぶべきでしょうか?今の世の中の動きを見て、「今こそ、その時が来るぞ!」と判断をして人々に呼びかけることでしょうか?ある面そうです。しかし、間違えてはいけないとも言えます。
このイエス様のお話の後、神殿は実際に崩されました。紀元70年の事でした。ユダヤ戦争でローマ帝国軍と同盟軍であったユダヤの王が立てこもるユダヤ人たちを虐殺し、この素晴らしい神殿は破壊されました。その時、「世の終わり」が来たのかというと、そうではありませんでした。
その後もこの神殿の再建はならず、今の姿です。この神殿の後には、黄金の屋根の岩のドームと呼ばれるイスラム教のモスクが建てられ、ユダヤ教でもキリスト教でもない、イスラム教の人たちの場所になりました。私も西暦2000年の9月にここに行きましたが、ちょうどその日にイスラム教とユダヤ教の小競り合いと投石騒ぎからしばらく紛争が続きました。
でも、まだ、いわゆる「世の終わり」は来ていません。今のパレスチナの戦争をみて、いよいよ世の終わりが来たという人もいるでしょう。そんな世の終わりが本当に来るかもしれませんが、それだけを心配して、聖書の暗号のような預言を読み解いて計算して、「いつ世の終わりが来る」と言い出すのは偽キリストともいえる、世を騒がす危険な宗教運動という事になるでしょう。
では、何をここから聞き取ることが必要でしょうか。それは、そこから始まる「産みの苦しみ」という事です。苦しくて、不安で、大変なことになっても、それは、「産みの苦しみだ」とキリストは言います。その苦しみを通して、その向こうに、うれしい新しいいのちが生まれる出来事があるのと同様のことがあるという事です。
それは、こういう事でしょう。私たちの人生にも、苦しみや不安、どうしようもないことが起こって、「もうこれでおしまいだ」とつぶやくときがあっても、それは、今までのものが崩れ去って、新しい自分が生まれ変わるチャンスなのだと。
私たちは、今まで、本当の神を知らずに生きてきました。自分の力や自信、または人の目やお金、権力などを頼りにして生きてきました。自信過剰で人を追いやり、自分の立場を誇示するのが世の人のすることです。しかし、やもめが生活費全てを賽銭箱に入れたように、自分が頼れるものが何もなくなった中で、神様だけに信頼する生き方になること。その財布の中身全部を賽銭箱に入れるという事は、ある意味、自分の頼ってきたものをすべて手放して、神様にすがる生き方になった瞬間でもあるのです。
その時、今まで何かにとりつかれていたように生きていた自分がいったん死んで、背負っていたすべての荷物を肩から降ろして、楽に自由にされたのです。その時が神様の出番。本当に謙虚で、愛のある生き方に変えられます。神を愛し、人を愛し、助け合い支え合う、聖書が一番大切と教える生き方です。
「豪華に作った神殿のきれいな石の建物が何になるんだ。それを誇るよりも、貧しくとも、自分の心に神様と神の愛を宿す、あなたこそが神の神殿なのだよ」、というキリストの言葉を聞き取りましょう。「天変地異が起こる世の終わり」をカウントダウンする事ではなくて、頼るべきものではないものに頼り誇ってきた生き方を終わらせて、本当の神に立ち返って、神を愛し人を愛する生き方が生まれる、そんな「終わりの日と、始まりの日」を見つめることが大切なのです。
4,勧め
人々は、建物や目に見えるものに心を奪われます。私は、「昔ソロモンが建てたというエルサレムの神殿を同じ大きさで再現したというキリスト教会」に行ってみたことがあります。ブラジルのサンパウロの熱狂的なグループの教会が建てて有名になったので、教会メンバーや他の牧師と一緒に夜の礼拝に行ってみました。人々は自信たっぷりで誇らしげに迎え、集まる人も圧倒されています。それもいいことかもしれませんが、私たちは、古い自分が終わって、新しい自分が生まれることに目を向けることが大切です。
エルサレムに残るといわれる、キリストの頃の城壁や石垣、石の階段、があります。しかし、そこに、多くの人が触ってみて祈る石の壁があります。それは、キリストが十字架を背負って歩かされるときに倒れて、手をついたと、伝説で言われる石の壁の一部分です。みんなが触って祈るので、そこだけ黒くなっています。私もそこに立ち、それを触りながら、祈らされました。罪深い自分のために、十字架を背負わされ、代わりに死んでくれた方を思い出して、間違いを悔い改めて、神の愛を知り、人を愛し、正しく生きていける、そんな人に少しずつ変えられる。そんなことを思い起こさせてくれる、黒くなった石の壁の一部分。私たちも、自分の心に手を当てて、悔い改めと、新しい自分の生き方をはじめましょう。
教会のカレンダーでは、来週の日曜日が一年で最後になります。一年の終わりの前に、心の大掃除も致しましょう。
ここ数年、ルカによる福音書でキリストのご生涯、使徒言行録でその続きの教会誕生とその後、エフェソの信徒への手紙で異邦人(非ユダヤ人)の教会の混乱やそこへの勧め、コリントの信徒への手紙で教会内の分派や争いへの戒めや勧めを学びました。 その後、昨年はローマの信徒への手紙で信仰による救...